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魔裟斗が野村克也から受けた、大人になる教育。「かっこよくいたいだけでは仕事はこない」 (3ページ目)

  • 栗田シメイ●文 text by Kurita Shimei
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

――具体的にはどのような部分でしょうか。

「監督を辞めたあともメディアへの露出が多く、野球人の中で野村さんほど"言葉"を求められた方はいないと思うんです。その点について直接聞いたことがあるんですが、選手を引退したあとに、『聞いている人にわかりやすい伝わり方を、いろいろ勉強した』と。もともと話すのが上手だったわけではなく、視聴者、読者への言葉の伝わり方を勉強したそうなんです。選手としても監督としても偉大な実績を残した方なのに、それだけの勉強をしていたことが大きな驚きでした。それで僕も勉強を始めたんです」

――野村さんから影響を受けていたとは意外でした。

「その2年間では"大人になる教育"も受けました。当時、僕はピアスをしていたんですが、野村さんに『お前はピアスなんかして』と毎回のように言われて。今思うと、『いい大人になって、人前に出る仕事をしているのにピアスをしているのはおかしいよな』と理解できますが、当時は素直に受け入れられなかった部分もありました。正直、最初は『この人は何を言ってるんだろう』とも思いましたが、野村さんは『チャラチャラした部分に厳しい見方をする人もいる。それはお前にとってもったいないことだ』と根気強く伝えてくれて、意識が変わっていきました。

 そういった当たり前のことを言ってくれる人が、当時の僕の周りにはいなかった。野村さんには、解説者としても人間としても、大きな影響を受けました」

――現在、魔裟斗さんが解説者として意識していることは?

「格闘技を知らない人に、どうやったらわかりやすく伝えられるか、ということです。専門的な知識をただ口に出すのではなく、自身の経験からその場面に即したことを、シンプルに伝える。解説の仕事では、それがもっとも大事だと思っています。それもやっぱり野村監督から学ばせてもらいました。選手のうちはうまく喋れなくてもいいと思うんです。でも、現役を離れて40歳を過ぎても『ただかっこよくいたい』というだけでは、仕事の依頼はこないですから」

――今後、格闘技界にどのように関わっていく、といったプランはありますか?

「スタンスは今のままだと思います。無理に格闘技関係の仕事を広げていくこともしないでしょうし、試合の解説も頼まれればやる。そうでなければ自分の興味があることをやっていく。そういう生き方は今後も変わらないと思います」

■魔裟斗(まさと)
1979年、千葉県生まれ。1997年に全日本キックボクシング連盟での試合でプロデビュー。2003年の『K-1 WORLD MAX』で日本人初のK-1世界チャンピオンになり、2008年に2度目の王座を獲得。翌2009年12月31日の試合を最後に引退した。その後は格闘技だけでなく幅広いジャンルで活躍。2021年の3月には『魔裟斗チャンネル』と、武蔵との『ムサマサ!』を開設した。

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