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「つないだ手は離さない」。
ボクサー栗生隆寛を引退まで支えた父の思い (4ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO


「あとは監督に任せる」と、父は指導に関して以後口を出さないと宣言し、実際に一切のアドバイスを止めた。その変化を粟生は「技術的にも、もはや父のキャパを超えてしまったから」と考えていた。

 それは、半分正解で、半分は間違っている。広幸さんが言う。

「もちろん、私のキャパオーバーもあります。ただ、それ以上に指導者がふたりいたら、選手が不幸でしょ? ふたりの指導者の板挟みになったら、本人がかわいそうじゃないですか。指導者はひとりであるべきです」

 小4で粟生が本格的にボクシングを始めてから広幸さんは、その日のトレーニング内容、こなしたラウンド数、走った距離、タイムなどの詳細を記した練習ノートを作っていた。1年に1冊、小4から高校3年までの9年間で計9冊の練習ノートが、今も自宅に保管されている。

 高校生の息子の練習には一切、口を出さなかったが、部活から帰宅後、粟生にその日の練習メニューを聞いてはノートに記録し続けることは止めなかった。

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