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「つないだ手は離さない」。
ボクサー栗生隆寛を引退まで支えた父の思い (2ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO


 ボクシングをやることを強制しなかった理由を、広幸さんはこう言う。

「誰かに何か言われて奮起する程度の覚悟で強くなれるほど、ボクシングは甘くないですから。ボクシングに限らず、あいつによく言っていたのは『これはお前の人生。決めるのはお前だ』ということでした」

 もちろん、優しいだけの父ではなかった。

 粟生親子は後楽園ホールに足しげく通っては、ボクシングジムの会長に「この子のスパーリング相手になってくれるような同年代の選手はいませんか?」と声をかけるようになる。スパーリング相手が見つかると、自宅の千葉県千葉市から東京、茨城など、関東一円のジムに父の運転で出稽古に行くようになる。

 粟生が不甲斐ないスパーリングをした日の帰り道、車内は地獄だった。

「運転中なのに、親父の裏拳が飛んでくることがありました。ヤバイなって日は、裏拳が届かない助手席の窓際ギリギリに座るようにしてましたね(笑)」

 反対に、いいスパーリングをした日の車内は天国だった。

「ファイトマネーというか、お小遣いをくれるんです。いいスパーをした日は、今日はいくらかなとかワクワクしてました(笑)」

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