2020.02.26

中西学のレスラー人生ヒストリー。
レジェンド集合のなかリングを去った

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi
  • photo by Hiraku Yukio/AFLO

「これで終わりではなくて、一度プロレスラーになったからには死ぬまでプロレスラーなので、死ぬまでトレーニングを続けて第二の人生を思いっきり歩んでいきたいと思います」

 2月22日、新日本プロレスの中西学が、27年のレスラー人生に幕を下ろした。
アルゼンチンバックブリーカーなど、豪快な技でファンを魅了した中西 引退試合のチケットはファンクラブ優先でソールドアウト。一般発売はなく、著者の元には疎遠だった学生時代の同級生や、最近親しくなったプロレスファンなどから「どうしたらチケットを入手できるか」と問い合せが殺到した。初めての経験で戸惑いながらも、中西というレスラーが世代を超えて愛されていることを痛感した。

 中西は宇治高学時代にレスリングを始め、名門の専修大学に進学。卒業後、1989年から全日本レスリング選手権大会で4連覇を達成する。和歌山県教育庁に勤めていたが、大学の先輩である長州力と馳浩に熱心に誘われて、1991年に新日本プロレスのレスリング部「闘魂クラブ」に入門。社員として働きながら1992年バルセロナ五輪に出場し、同年8月に新日本プロレスに入団した。

「オリンピック出場」の肩書きを持つ中西は、破格の待遇でデビューを果たす。

 通常、新日本プロレスの若手選手"ヤングライオン"は前座試合でデビューする。しかし中西は入団から約2か月後、いきなり藤波辰爾とのタッグで「SUPER GRADE TAG LEAGUE」に出場。その際は、新人恒例の「黒タイツに黒シューズ」ではなく、アマレスのタイツにヘッドギアというスタイルでリングに登場した。