【国際プロレス伝】ラッシャー木村、
「金網デスマッチの鬼」と呼ばれた男 (4ページ目)
あれは、京子が初めてレスリングの世界チャンピオンになった1997年の夏。世界選手権が行なわれるフランスへ出発する前日、いつもどおりあそこでトレーニングをしていました。猛烈な暑さでね、トラックの上は気温40度を超していたでしょう。
『この暑さのなかでのトレーニングに耐えれば、フランスでは楽に戦える』。1000m走を2本、400m走を2本、100m走を10本、さらに最後は僕も一緒に30分の息上げサーキットをやりました。終わったときは、ふたりともフィールドにバッタリ倒れましたが、爽快な気持ちでしたね。太陽がじりじりと照りつけていましたけど、そうしたら、真っ青な空にひと筋の雲が流れてきたんです。
『京子、あの雲、稲穂に見えやしないか?』
『ホントだね』
『京子、何て縁起がいいんだろうな。稲穂は実る! お前は必ず世界チャンピオンになれるぞ』
『お父さん、私、やり残したことはない。この空みたいに晴れわたった気持ちでがんばる』
京子はそう言って、チャンピオンになったんです。......また、アニマル浜口得意の"脱線"でした。そうそう、木村さんのオックス・ベーカー戦ね。
あの日、僕は寺西勇さんと組んで、アクセル・デイターとレス・ソントンとのタッグマッチでした。僕が決勝フォールを奪って勝ったんですが、サンダー杉山さんとグレート草津さんもボブ・ウィンダム&ラリー・ヘニング組を破ってIWA世界タッグチャンピオンになられた。それで、木村さんが金網デスマッチ。
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