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【国際プロレス伝】別れのとき。
アニマル浜口が社長から託された夢 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • ベースボール・マガジン社●写真

 1997年から世界選手権3連覇を遂げながらも、2000年と2001年は世界選手権で優勝できずに3位と4位。『浜口京子の時代は終わった。女子レスリングはオリンピック種目に決まって一気に進化している。浜口のレスリングではもう勝てない』と批判されたときで、京子が『自分にレスリングを教えてくれた父親の指導者としての評価が下がるのは我慢できない。絶対に世界チャンピオンに返り咲いて、父親を世界一のコーチと言わせてみせる』と発奮して、チャンピオンに返り咲いたときですね。

 吉原社長は短い人生でしたけど、そのなかでものすごいことを成し遂げられた。そして、僕たちに夢の続きを託された。アニマル浜口は、社長の分まで生かされているのかな。『俺が寡黙を貫いた分まで、お前が叫べ』と、天から社長に言われているんじゃないかと勝手に思っていますよ。

 国際プロレスをひとりで背負って、苦労されたんですね。僕たち選手はリングの上で戦っていればいいけど、国際プロレスを生き残らせるためには大変なことがあったんでしょう。アニマル浜口と一緒に呑んで、騒いで、発散してもらえればよかった。今だったら、アテネオリンピックの後、京子を闘争の連続から解放するために僕が考案した"笑い"で救ってあげられたのに......」

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