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【国際プロレス伝】別れのとき。
アニマル浜口が社長から託された夢 (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • ベースボール・マガジン社●写真

 吉原社長はその後、1984年かな、新日本プロレスの顧問になられたときに、女房がやっていた浅草の『香寿美』という店に来てくれたんです。僕は店の3階の自宅にいて、『社長がいらしたわよ』と女房が教えてくれたんだけど、1階に降りて行けませんでしたね。社長の心情がわかっていたから。

 それから1年もしないうちに、社長は胃ガンで倒れられました。木村さんと最初にウイスキーを持って見舞いに行ったときは、まだお元気で。『よく来たな』なんて喜んでくれて、『俺も練習しなきゃいかん』と言っていましたし、ベッドから起きて見送ってもくれました。それが2度目にうかがったときは、ガンが全身に転移されて、『もう誰にも見せられない』と奥さんがおっしゃりながらも、僕と木村さんだけは病室に入れてくれたんです。ガンとの壮絶な戦いを見せられました。それが、お会いした最後でした」

 吉原功、1985年6月10日死去。享年55歳。

「55歳ということは、僕なら2002年、京子が釜山アジア競技大会で金メダルを獲得し、ギリシャのハルキダで行なわれた世界選手権で優勝した年か。

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