【国際プロレス伝】アニマル浜口とプロレス「ナニワで運命の出会い」 (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports, Sano Miki

浜口道場に掲げられた「吉原功顕彰」浜口道場に掲げられた「吉原功顕彰」 そんな道場に掲げられた、『吉原功顕彰』。そこには国際プロレス社長・吉原功の義兄によって、「燃えて夢を行け 宇宙大調和 観世音妙智力」の言葉とともに、達磨の絵が描かれている。岩手県北上市で行なわれた、吉原の十三回忌に出席したお礼に遺族から贈られたものだ。

「私が今、こうしていられるのも、私がアニマル浜口でいられるのも、プロレスのおかげということを考えれば、一番の恩人は亡くなられた吉原功社長です」

 父親が事業に失敗し、経済的な理由から高校進学が叶わなかった浜口平吾(はまぐち・へいご/アニマル浜口)は、16歳のときに家出する。当時住んでいた大阪から名古屋、豊橋、東京、横浜と、"自分探しの旅"を続けたものの、工事現場を転々とする暮らしでは夢を見つけるどころか、顔つきには貧しさがにじみ出るばかり......。

「東京・銀座の松屋での改装工事を終えた帰り、街角のショーウインドーに映った自分の顔を見て、愕然としました。華やかに着飾り、楽しげに闊歩する人々の波のなかで、自分は何とみすぼらしい姿をしているのかと思いましたよ。

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