2016.08.15

男子柔道、全階級でメダル。
井上康生が見せた指導者としての才覚

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by JMPA

 井上康生は栄華を極めた柔道家であり、彼ほど指導者に適した人格者はいないと思う。

 井上の柔道を初めて見たのは、彼が宮崎県の小学校に通っていた5年生の時だった。すでに内股が代名詞となっており、「山下(泰裕)二世」と呼ばれていた。

100kg超級で原沢久喜が銀メダルに輝き、男子は全階級でメダルを獲得した 2000年シドニー五輪決勝での内股は、柔道の五輪史における最も美しい「一本」だと言っても過言ではない。しかし、連覇が確実視されていた04アテネ五輪では無残に散った。前日に眠ることができず、やつれた状態で畳に上がった結果、準々決勝で敗れ、敗者復活戦でも背中を畳につけた。見ていて信じられない光景だったが、誰より本人が現実とは思えなかっただろう。

 五輪における栄光も、挫折も味わった。

 その男が監督となり、日本男子柔道はリオ五輪の舞台で金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル4個という、全7階級でメダルを獲得した。全階級メダル獲得は4階級の開催だった東京五輪以来、52年ぶりのこと。4年前のロンドンで金メダルがゼロに終わり、柔道母国の威信が失墜したことを考えれば、井上はわずか4年で再建に成功したわけだ。

「名選手、名監督にあらず」は、井上には当てはまらない。彼の指導者としての資質を実感したのは、男子のコーチとして参加していたロンドン五輪だった。

 柔道初日、女子48kg級に出場した福見友子は、準決勝で敗れ、3位決定戦に回った。そのわずかな時間の間に、井上は福見のもとを訪れ、失意の彼女に向かって「オレは(アテネ五輪の)悔いが残っている。お前にはそういう悔いを残して欲しくない」(福見談)と伝えたという。