内山高志と交わした約束。
僕は「ヒーロー」を信じている (4ページ目)
生真面目なサラリーマンの父を持った内山は、「アテネ五輪まで」と約束し、安定した職に就くことを望んだ父を説得し、ボクシングを続けた。
しかし、アジア地区最終予選で敗退。約束どおり、一度はサラリーマンとなる。だが、同世代のボクサーの試合を観戦するうち、沸き上がる想いに気づき、再起を決意。プロに転向した。その決断に父は激怒し、会話すら交わさない日々が続く。
父が頑(かたく)なだったのは、理由がある。ガンを一度患った身体が、いつまでもつかわからない。プロボクサーとして世界王者を志(こころざ)した息子が、志半ばで夢破れたとき、長くはフォローできないかもしれないと悟っていたからだった。
2005年、内山がプロデビューした年、父はガンが再発し、入院。そして内山のプロ3戦目、そのわずか2週間前に父は逝った。
父は、プロボクサーの息子を一度も観戦できていない。ただ父は、母に、「会場で売っている高志のTシャツが売れ残っていたら、全部買ってこい」と告げていた。息子の世界チャンピオンになるという夢を、本心では応援していたのだ。
「『どうだ親父、俺は世界チャンピオンになったぞ』なんて想いは、一欠片(ひとかけら)もないんです。心配ばかりかけ、一度も安心させてあげられなかった。もしも何かひとつだけ、父に伝えられることができるのなら、『安心して。ボクシングでどうにか食べていけてるよ』って伝えたいんですよね」
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