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【女子バレー】デンソーでセッター、リベロでもプレーする川岸夕紗「あれもこれもできると思ってもらえたら」 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【高1で出場した春高で「自信がついた」】

「バレー、好きだったんで」

 彼女は熱量を表に出さないが、行動がその言葉を正当化する。

「小学校4年生までレシーブだけやっていたんですが、『オーバーが上手だね』と言われて、5年生から1年間はセッターをやりました。6年生になると打ち手もレシーバーもいなかったので、自分がそこに回ったんです。

 中学はどこのポジションにも入る感じでしたが、高校はセッターで入ったので、そこからはセッターひと筋。パスのコントロール、右、左に飛ばすのはけっこう自信がありました」

 川岸は地元の兵庫を出て京都橘高校に入学し、寮生活を送った。そこでもバレーをしていた記憶しかない。春高バレーの予選を勝ち抜き、全国の舞台にも立った。3年時には主将として本大会にチームを導いた。

「自分の代は『(京都で常に代表を争う)北嵯峨の時代。京都橘は負ける』と言われていました。相手に大エースがいたんですが、自分たちは全員で勝つチーム。キャプテンとして重圧はありましたけど、勝って全国に行けました」

 高校では、いくつも"バレーを感じる"試合があった。

「ベストゲームは、高1の春高予選決勝の北嵯峨戦、高2の春高本大会での進徳女子戦、高3のインターハイと春高の誠英戦ですかね。春高で負けた誠英戦などは苦い思い出でもありますが、高1の北嵯峨戦は自信がついたゲームです。

 高1の春高予選の時、私はレギュラーではありませんでした。決勝の北嵯峨戦は5セットマッチの1セット目を取り、2セット目を奪い返されて、3セット目をギリギリで取るという展開。4セット目は序盤に私がコートに入ることになって、6点差で負けていたところから点差を縮めていって、自分のサーブで追いついたんです。

 結局はそのセットは落としましたが、5セット目はわりと楽に取れました。自分が得意な場所にトスを上げたら、先輩たちが打って決めてくれたんです」

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