【ハイキュー‼×SVリーグ】ヴォレアス北海道の古賀健太は『ハイキュー‼』を読んで思い出す高校時代 春高バレー決勝で感じた「バレーの神様」
ヴォレアス北海道 古賀健太
(連載25:岡山シーガルズ中本柚朱の胸に刺さった星海光来の言葉 高さで「不利」でも粘りのバレーで勝つ>>)
「自分の好きなバレーで上に行きたい、と思っていました」
古賀健太(27歳)は柔和な、低音の声でそう言った。東福岡高校時代はエースとして春高バレー連覇(2015、2016年)を達成。東亜大学では、トップリーグでプレーする自分を強くイメージし、躍動した。
「大学では1年の時から出してもらいました。オポジット、エースとして、高校時代以上に『自分がやらなきゃ』と思っていましたね。大事なところを決めて試合に勝ちたい気持ちもより強くなりましたし、全日本インカレでは石川祐希さんとも対戦して、『もっと努力してうまくなりたい』と思いました。すごい選手たちと同じ舞台でプレーするために」
大学卒業後、大分三好ヴァイセアドラーで頭角を現すと、2022年には日本代表メンバー入り。2023年にヴォレアス北海道に移籍し、SVリーグでは外国人選手が多くを占めるオポジットで鎬を削る。
古賀がバレーに目覚めたのは小学1年の時だった。当時、2歳上の兄の後ろをついてまわっていた。その兄が、父の知り合いがいるジュニアバレーボールチームに入ることになった。
「お兄ちゃんがやるなら僕もやる!」
かわいい弟だった。最初はルールも知らず、レシーブは痛かったという。同時に、上から打つ姿に憧れた。
「できないのが悔しくて、『できるようになりたい』と思ってからは、どんどん練習するようになりました。それで小学3、4年にはスパイクも打ち始めて、攻撃が面白いと感じて。『もっと、あれをやりたい、これをやりたい』と思うようになり、バレーにハマっていきました」
彼のキャリアを引っ張ったのは、やはり兄の存在だった。
「自分が小学4年の時、6年生の兄はエースでした。兄が卒業したあとは自分が打つようになりましたが......中学も同じで、やっぱり2歳上の兄には勝てませんでした(笑)」
古賀は兄を誇るように語る。
「兄はうまかったし、尊敬していました。自分は、小さい頃はパワー重視で技の引き出しが少なく、対照的に兄はその引き出しが多かった。そんなに話すほうではないですが、その分、プレーで見せてくれました。自分も中学2年頃から、兄のようにレシーブをうまくなろうと必死になったし、『スパイクも打ち分けられるようになりたい』と思いました」
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。