女子バレー日本代表・野中瑠衣の高校時代は「反抗的だった」 それを変えた恩師の言葉とは? (3ページ目)

  • 坂口功将●取材・文 text & photo by Sakaguchi Kosuke

【恩師からの力強いメッセージ】

――その戸嶋先生は昨年12月、45歳の若さで亡くなられました。闘病されていたのはご存じでしたか?

「知らなかったんです。先生は強い人なので、誰にも言わずに過ごしていたと聞いています。今でも信じられません」

――ご自身のSNSで、戸嶋先生からの直筆のメッセージとともに思いをつづっていましたね。「瑠衣へ チームに貢献せずに秋田の地を踏むな!! 欲と意思を持って仲間を生かすバレーを!!」というメッセージでしたが、いつのものですか?

「高校1年生の時にユース(U-18)日本代表としてユース世界選手権に参加して、アルゼンチンにいた時です。スタッフがそれぞれの選手に、親や各チームの指導者からのメッセージを用意してくれて。先生らしい芯の通った、力強い文字に勇気をもらいました」

――1年時の野中選手は自身の環境に葛藤していて、反抗的だったという話でしたが、当時の戸嶋先生との距離感はどうだったんですか?

「反抗的な選手を見捨てる先生ではありませんでした。私がひどい態度をとっても私を信じてくれていましたし、それが伝わってくる人。直筆メッセージの文字にも、先生の強さが表われていました」

――今後、先生にどんな活躍を報告できるようになりたいですか?

「報告かぁ、なんだろうな......。代表に入りました、こういう結果を残せました、ということでもいいですけど、先生は『結果だけがすべてではない』ということを大切にされる方だったので。『必ず結果を出せ』『絶対に日本代表に入れる』とは言わなかったんです。なので、元気に夢に向かっている姿を見守っていてほしいです」

――ご自身が目指す選手像とは?

「もちろん日本代表に入りたい思いはあります。でも、それだけではなく、チームに求められていることを遂行し、どんな形でもいいから『必要だ』と思ってもらえる存在になりたい。『瑠衣がいるから局面が変わった』『瑠衣がいないと何だか静かだな』という感じでしょうか。チームにとって不可欠なプレーヤーになりたいです。

 最近は、その人自身の経験値も含めて"深み"がある人がよく目に留まります。私を見た子どもたちや選手にとって記憶に残るような、深みのあるプレーヤーになれたらいいな、と思っています。まだまだ経験は浅いですが、いろんなことを積み重ねて、深みのある大人になりたいですね」

【プロフィール】
野中瑠衣(のなか・るい)

2001年8月3日生まれ、秋田県出身。日立Astemoリヴァーレ所属。177cmのアウトサイドヒッター。秋田県立秋田北高から2020年に日立リヴァーレ(当時)に入団。秋田市立泉中3年時、秋田北高1年時にU-18日本代表に選出される。昨年度は追加登録で日本代表入りを果たし、第22回アジア女子選手権大会に出場した。

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