髙橋藍、男子バレーの新星は19歳。兄が振り返る急成長の過程

  • 高井みわ●取材・文 text by Takai Miwa
  • 坂本清●撮影 photo by Sakamoto Kiyoshi

 この若さで安心してレシーブを任せられるスキルの高さは、中学時代にリベロのポジションを経験したことも大きい。

 髙橋は小学校2年時に、2つ年上の兄・塁(日本大学4年/バレーボール部主将)がいた小学生チームに入り、バレーボールを始めた。兄の塁は、「僕が女子代表の栗原恵さんに憧れてバレーを始めたので、当時から藍も一緒にテレビでバレーを見ていました。バレーを始めた時はとても小柄だったのですが、最初から器用にプレーができて、コートの中をすばしっこく走り回っていました」と振り返った。

 京都市立蜂ヶ岡中学校に進学した当初、藍の身長は158cmだったという。1年生の時は兄の塁がエース、藍はリベロのポジションに入り、全国大会に出場した。塁は「僕が引退したあと、藍はスパイカーになりました。レシーブに磨きをかけて、高さがない分、攻撃でも小技を身につけていた印象があります」と語る。藍は兄の卒業後、スパイカーとしても全国大会に出場しているが、現在の彼の土台はこの時期に作られたようだ。

 高校も兄と同じ私立の男子校・東山を選んだ。髙橋とエース対角を組んだ兄の塁は、「中学で1年間一緒にやっていた時よりも遥かに成長していたので、間違いなく『自分よりすごい選手になるだろう』と思いました」と当時の印象を語る。

 京都の高校男子バレーはレベルが高く、大塚達宣がいた洛南の壁に阻まれ、塁は春高の舞台に立つことがなかった。しかし藍が3年の時、遂にその壁を破って出場を決めると、全国制覇まで果たした。大学生になっていた塁は、春高の全試合を会場で応援した。

「高校時代の自分と同じ1番のユニフォームを着ている藍を見て感動しました。自分が春高に出場できなかった分を背負って戦ってくれたので、本当に誇らしかったです」

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