2021.04.30

五輪出場を逃し、猛バッシング。引退を決意した竹下佳江を救った中田久美からの電話

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

竹下佳江インタビュー
「世界最小最強セッター」が歩んだバレー人生 前編 

◆竹下が語る現在の日本代表セッター>>

 身長159cmの小さな体で質の高いトスを上げ続け、アタッカー陣からの信頼が厚かった竹下佳江。長く日本代表を牽引した名セッターだが、2000年にシドニー五輪出場を逃す屈辱を味わい、2002年には一度引退を決意している。当時の状況と、現女子バレー代表監督の中田久美からかかってきた電話、復帰後の活躍を竹下が振り返った。

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バレー人生を振り返った竹下佳江 photo by Kimura Masashiバレー人生を振り返った竹下佳江 photo by Kimura Masashi 「小学校3年生の時に、3つ上の姉の影響でバレーを始めました。姉は勉強もスポーツもできたので、何でも姉のマネをしていたんです(笑)。私はちょっと飽きっぽくて、両親に『佳江はバレーも続かないんじゃないか』と言われて悔しかったんですが、バレーは続けられました」

 高校では春高バレーなど全国大会には縁がなかったが、3年生の時に1995年の世界ユース選手権のメンバーに選出され、世界一を経験した。

「その頃から『バレーで給料をもらって生きていきたい』と思うようになりました。最初は9人制のチームからしかスカウトはなかったんですが、のちに代表監督になる葛和伸元監督が声をかけてくれて、NECレッドロケッツに入団しました」

 NEC入社当初、1996年のアトランタ五輪に出場する全日本メンバーが合宿でNECの練習所を訪れた。大林素子、吉原知子、山内美加、セッターの中西千枝子と、そうそうたるメンバーだった。

「オーラが違いましたね。みなさんの一挙手一投足を目で追っていました。『いつかあのユニフォームを着てみたい』と初めて思いました」

 NECでの最初の4年間、竹下は朝練習の前にひとりで自主練をしていた。体育館の壁にボールを打ち、跳ね返ってきたボールをトスする練習を繰り返した。そして1999-2000シーズンに正セッターとなり、チームは全勝優勝。シーズン終了後、1997年から日本代表の指揮を執っていた葛和監督が、NECの主力だった竹下、高橋みゆき、杉山祥子を招集した。