ロンドン五輪直前、竹下佳江にまさかの事態。メダル獲得へ激痛を仲間にも隠し続けた
竹下佳江インタビュー
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失意の引退から復帰し、正セッターとして日本代表を牽引していた竹下佳江が、3大会連続の出場を果たしたロンドン五輪。「データバレー」でチームが快進撃を見せる中、竹下は激痛とも戦いながらトスを上げ続けていた。それを仲間に悟らせないための策や、過去の屈辱を晴らす歓喜の瞬間、さらに、取締役球団副社長を務めるヴィクトリーナ姫路での今後の展望などを竹下に聞いた。
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ロンドン五輪で日本代表を銅メダルに導いた竹下佳江 photo by Ishijima Michi 2008年の北京五輪を5位で終えた女子バレー日本代表は、指揮官を柳本晶一から眞鍋政義に代えて再スタートを切った。現役時代の眞鍋は代表でも活躍した名セッターで、実は竹下の幼い頃の憧れの選手だったが、監督として初めて接した際の第一印象を「めちゃくちゃ細かったです(笑)」と振り返る。
眞鍋が実践したのは「データバレー」。選手個々のパフォーマンスを数値化し、そのデータを練習場の壁に貼った。前例がなく、最初は嫌がっていた選手たちも、数値を参考に自らの課題を見つけ、強化に取り組むようになっていった。
大きな成果が出たのは2010年の世界選手権。銅メダルを獲得し、女子バレー日本代表が32年ぶりに表彰台に上った。当時ミドルブロッカーとして活躍した大友愛は、スポルティーバでのインタビュー取材の中で、「ロンドン五輪での銅メダルよりも、世界選手権の銅メダルのほうが印象に残っている」と話していたが、竹下はどうだったのか。
「眞鍋さんが監督になってから、ずっと"数字"を言われてきて、どうやったら世界のトップ3に入っていけるかという"クリアポイント"がありました。最初は拒否感も大きかったんですが、世界選手権で3位に入ったことで『ここまで行けるんだ』と実感したんです。
その前にも、ワールドグランプリでブラジルに勝ったり、『戦い方次第では世界のトップと戦えるんだ』とチーム全体が変わっていった。海外のトップチームにはどうしても勝てないという、それまでの空気がちょっと変わってきた時期でしたね」
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