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新鍋理沙「あんなすごいスパイクは打てない」。攻撃より守備を選んだ転機

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

女子バレー稀代のオールラウンダー
新鍋理沙が歩んだ道(2)

◆第1回>>

 元女子バレー日本代表・新鍋理沙のバレー人生を辿る短期連載。第2回は、全国で活躍した高校時代と、久光スプリングス(旧久光製薬スプリングス)入団後に守備力を高めるきっかけになったターニングポイントについて振り返る。

長らく日本代表として活躍した新鍋 photo by Kimura Masashi長らく日本代表として活躍した新鍋 photo by Kimura Masashi 中学校を卒業した新鍋は、鹿児島県の名門・鹿屋中央高校に進学した。中学時代は県選抜に選ばれたものの、自らのチームでは県ベスト4が最高だったため全国的に知られる選手ではなかった。それでも将来性を買われて「声をかけてもらえた」という。

 それまでも厳しい練習を経験しており、強豪校に入ることの心構えもしていたが、実際に入部してからの厳しさは想像を超えていた。

「練習もですが、普段の学校の生活から指導がすごく厳しかったです。チームの目標が『日本一になること』というのは入学前から知っていましたけど、人生で一番しんどかったと思える時間だったかもしれません。でも、やめたいとは思いませんでしたね」

 中学まではレフトでもプレーしたが、高校では基本的にライトで、1年生にしてレギュラーとして活躍。2006年のインターハイで優勝を果たした。翌年の春高バレーにも出場してベスト4に進出したが、新鍋は「とても悔しかった」と振り返る。

「準決勝は大阪国際滝井との試合で、先に2セットを取ったのに、そこから逆転されてフルセット負け。あまり試合内容を覚えてないくらい必死だったんですけど、負けた時の悔しさは言葉では言い表せないくらい大きかったです」

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