【男子バレー】Vリーグ創設と松平康隆が最後に見た夢 (4ページ目)
Vリーグにはその後もプロチームが誕生し、企業チームであってもプロ契約する選手も増えた。組織自体は、2005年9月、協会内部組織であったVリーグ機構が独立し、有限責任中間法人日本バレーボールリーグ機構が発足した。
ミュンヘン五輪金メダリストで、現在日本バレーボールリーグ機構の会長を務める木村憲治に、松平の最後の夢であったろうVリーグについて尋ねてみた。意外にも、木村の答えは、「松平さんの最後の夢がVリーグであったとは思いません」というものだった。その意はこうだ。
「松平さんの思いは『バレーボール界の再建=復活』でありその一つの手段がたまたま『Vリーグ』であっただけと考えています。したがって、私のミッションは『魅力あるVリーグづくり』であることは当然ですが、JVA(日本バレーボール協会)と一体になり、競技人口の拡大と強化体制の確立を図り、結果として文字通りのトップリーグを創りあげることと認識しています。松平さんの思いの真実は今やわかりませんが、バレー人気を復活させることがそれに応えることになるのは間違いないと思い、今後も全力で頑張る決意です」
最後に松平とともにミュンヘン五輪を制した大古誠司と森田淳悟の言葉で本稿を終わりたい。
「松平さんが亡くなったのは非常に悲しいが、このたび、たくさんのメディアで松平さんの功績が偲ばれることとなった。教え子として、大変誇らしく思っている」(大古)
「我々が10人かかっても松平さんのアイディア力、行動力には及ばない。それでも我々はその遺志を継いで松平さんの築いたものの上に、オリジナリティーを加えて蓄積を続けていかなければならない」(森田)
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