2012.03.12

【男子バレー】Vリーグ創設と松平康隆が最後に見た夢

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 築田純/アフロスポーツ●写真 photo by Tsukida Jun/AFLOSPORTS

2010年4月、V・プレミアリーグ・ファイナルラウンド女子決勝で、優勝した東レアローズの選手たちを祝福する松平松平康隆と日本バレー(4)

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 ミュンヘン五輪開会式の朝、大古誠司は鶴田友美(後のジャンボ鶴田)というレスリング選手と話をしていた。なんでも鶴田は大会が終わったら日本でプロ契約をする予定で、契約金は1000万円を超えるという話だった。大古はさすがにうらやんだ。同じ厳しい練習、試合をこなして、帰国すれば我が身は企業戦士。給与も通常のサラリーマンと変わらないものだったからだ。

 前述したように、松平康隆の信条は、「人を動かすのは金と名誉」「アマチュアであるわれわれは、名誉が全て」というものであった。しかし、1990年代のなかば、世がJリーグブームに沸く頃、いよいよ「金」のほうにも手を伸ばそうとしたことがあった。それがVリーグ改革だった。

 1991年、サッカーのJリーグが設立され、1993年の開幕にかけて、「ブーム」といっていい気運が巻き起こった。いまだバブルの名残りも色濃かったこの頃、松平は、人気はそれなりにあるものの、成績が伴わなくなってきた日本バレーに頭を悩ませるようになっていた。松平の頭にあるのはミュンヘン五輪の頃から、「サッカーに負けるな、ラグビーに負けるな」であった。松平は、モントリオール五輪で金メダルを獲得した女子の監督、山田重雄に相談を持ちかけた。バレーの日本リーグも、Jリーグのようにプロ化できないものだろうか、と。

 協会内でプロ化に向けての新しいリーグを作ろうとする会議が何度か重ねられた後、1994年初頭、日本リーグのチームを東西に分けて、緊急会合が招集された。西の会合に駆けつけた小田勝美(モントリオール五輪に出場、現堺ブレイザーズ部長)は、当時は新日鐵バレーボール部副部長の立場にあった。会合には松平協会長、小山勉専務理事、山田重雄常務理事(いずれも当時)がそろっていた。そして、彼らはA4の資料を十枚程度配布し、日本リーグをVリーグに改革すると宣言した。