錦織圭の2024年 肩・ひざ・足首の痛みを乗り越え完全復活への兆し「来年に向けていい準備ができた」 (2ページ目)
【6年間中断していたイベントを再開】
シーズン終盤の錦織は、主催者推薦枠を得てウイーンのATPツアーに参戦。ウイーン後は「ATP250の予選1大会に出るか、ATPチャレンジャー2大会に出るかというところで、チャレンジャーを選んだ」という。「頑張ったら(11月開催の)日本の大会にも出られたけど、体のこともあるので無理しない」ことを選択した。
結果的に錦織は、ヘルシンキのチャレンジャー大会で5つの白星を連ねて優勝。ランキングを105位に上げた時点で、今季の日程を終了した。
振れ幅の激しかった2024年を振り返り、錦織は「大変な1年ではありましたけど」と切り出し、続ける。
「終わりはまあまあの結果も出て、やっと100位に戻ってきて、なんとなくまたスタート地点に立ったな、という思いはあります。前半はけっこう大変で......ひざもあり、肩もあり、いろんなケガもありましたし。なんとかゼロに戻ってきたかな、というのはあるんで、プレーも悪くないですし、来年に向けていい準備ができたかなと思っています」
ドリームテニスARIAKEで聞く「スタート地点に立ったな」という錦織の感慨は、このイベントの始点を思い返した時、一層、趣き深く響く。
同イベントが最初に開催されたのは2011年。東日本大震災の被災地に足を運び、その惨状に衝撃を受けた錦織の呼びかけで発足した復興チャリティイベントである。
その初回大会にスペシャルゲストとして招かれ、錦織とエキシビションマッチを行なったのが、1989年全仏オープン優勝者のマイケル・チャンだった。これが縁でチャン家と錦織家に親交が生まれ、2013年末にチャンが錦織のコーチに就任。翌2014年全米オープン決勝進出に象徴される大躍進の端緒には『ドリームテニス』があった。
コロナ禍などもあり6年間中断していたこのイベントを、自身の復活のシーズンに再開できた意義についても、錦織は次のように語る。
「今回、収益を本当に全部ぶち込むという形でいかせてもらっているので。選手たちも、これだけみんな忙しいなか、チャリティの思いで来てくれて本当にありがたいです。
僕もこの前、フロリダの家を台風でけっこうやられたので、こんなに大変なんだなというのは身に染みて感じました。泥水が家に入ってきて大変だったり。最近、自然災害が増えてきているのはどうしようもないですけど、こういうところで助け合えたらいいなと思います」
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