シャラポワ、草津から始まった栄光への足跡。最後まで貫いた己の美学 (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO


 その言葉を唯一の担保とし、ユーリーは6歳の娘の手を引いて、世界のテニスの中心地であるアメリカのフロリダ州へと渡る。

 伝手はない。英語も話せない。ユーリーのポケットに入っていたのは、娘に託した夢と、1000ドルにも満たない現金のみ......。
 
 これが世に広く知られている、マリア・シャラポワの始まりの物語である。
 
 関係者の間で繰り返し語り継がれてきたこの"フェアリーテイル"は、おそらくは伝聞を重ねるうちに詳細が変容し、なかば神話化した側面もあるだろう。

 父が渡米時に手にしていた現金は700ドルだったとも、さすがにもっと多かったとも言われている。物語の重要人物であるナブラチロワは、父への進言を「覚えていない」と漏らしたこともあるそうだ。

 ただ、たしかなのは、娘が6歳の時に父娘はアメリカに渡ったこと。そして崩壊間もないロシアに育った少女の目には、すべてが大きく映ったということだった。

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