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ジョコビッチ来日の真の理由。
悲願達成へ早くも「準備」を始めている (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

 そのジョコビッチの栄冠の陳列棚に、ただひとつ残った空白のスペース――それが、オリンピック金メダルだ。

 母国セルビアで「大統領以上の影響力を持つ」と言われるほどの人気を誇る彼には、国を代表することへの並々ならぬ誇りがある。そのジョコビッチが皮肉なことに、なぜかオリンピックの金メダルだけは縁遠い。

 初挑戦は21歳だった、2008年の北京オリンピック。当時、まだフェデラーとナダルに継ぐ「第3の男」だった彼にとって、銅メダルはある意味で順当な結果だったかもしれない。

 その彼が、1位と僅差の世界2位、そしてセルビア代表の騎手として参戦したのが、2012年のロンドン・オリンピック。しかしこの時は、準決勝で地元優勝に並々ならぬ執念を燃やすマリーに競り負け、3位決定戦でもフアン・マルティン・デル・ポトロ(アルゼンチン)に破れた。

 そうして迎えた2016年のリオデジャネイロ・オリンピックは、ジョコビッチが優勝候補の最右翼として挑んだ大会である。当時の彼は、押しも押されもせぬ世界1位。その前年のウインブルドンから翌年の全仏オープンまでの四大大会すべてを1年間で制し、絶対王者としてテニス界に君臨していた。

 しかし、ここでもまた、運命はジョコビッチに試練を与える。

 彼が初戦で当たったのは、4年前に破れたデル・ポトロ――。

 当時のデル・ポトロは、ケガによる長期離脱のためランキングを落としていたが、完全復帰への道を着実に歩む最中にあった。対して無敵に見えたジョコビッチは、酷使し続けてきた右ひじに人知れず痛みを抱えていた。

 ロンドン・オリンピック銅メダル決定戦の再戦となった1回戦屈指の好カードは、その結末もまた、4年前と同じになる。コートを去る背に万雷の拍手を受けたジョコビッチは、人目をはばからず、大粒の涙を零(こぼ)した。

「あれは、自分の人生で最も忘れがたく、同時に、最も痛みを伴う瞬間だった」

 のちにジョコビッチは、この敗戦をそのように述懐している。

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