また大坂なおみレベルの才能あらわる。
16歳の内島萌夏とは何者か? (2ページ目)
「すごいタレントがいる。これは大切に育てなくては......」
そう思った吉川はフェドカップの合宿に内島を呼び、さらには今回のカンガルーカップでもワイルドカードを出してくれるよう、主催者側に働きかけた。
「フットワークなどにはまだ改善の余地があるが、逆にそれだけ伸びしろもある」
柔軟な未完の大器には、次々と新たな経験と刺激が注ぎ込まれた。
内島の伸びしろが豊かなことは、彼女がテニスを始めてまだ7年という事実が物語りもする。
父親の赴任先であり、母親の母国でもあるマレーシアで生まれた内島がテニスに出会ったのは、日本に帰国して1年ほど経ったとき。最初は家族での遊びとして始まり、そのうち、となり駅のテニススクールに週1回ほど通うようになる。
そんな彼女のテニスキャリアが最初の転機を迎えたのが、6年前のこどもの日。都内のテニススクール開催のイベントで試合をしていた内島に、同スクールのコーチが「ウチでやらない?」と声をかけた。
そこから才能の原石が光を放つまで、さほど長い年月を要しはしない。2年前に全国中学生選手権で日本の頂点に立つと、昨年は16歳にして全日本ジュニア18歳以下の部で優勝。次々に戦いの舞台を広げる内島の疾走は、今年のゴールデンウィークで国内外のプロ選手が集うカンガルーカップの決勝にまで至った。
決勝で日本のフロントランナーの奈良と戦う内島は、失うもののない強みで伸びやかにコートを駆け、早々にリードを奪う。だが、4ゲーム目の序盤で奈良が転倒したとき、「打ち込むより、ボールを左右に散らし、相手を走らせたほうがいいのかも」との考えが頭をよぎり、その思いが彼女のリズムを内から崩した。
機動力と戦術眼に勝(まさ)る奈良にしてみれば、コートを広く使う打ち合いは自分の土俵だ。10ゲーム連取した奈良が瞬(またた)く間に勝利まで1ゲームに......内島から見れば、敗戦までわずか4ポイントに追い込まれた。
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