大坂なおみが18年間を振り返る「お姉ちゃんこそ最大のライバル」 (3ページ目)
―― 具体的には、どんな"劇的な方法"を試みたのでしょう?
「そうね......。たとえばある日は、とにかくほぼすべてのボールをスライスで打ってみたりしたわ。でも、小さいころの私はスライスがとっても苦手だったから、結果はもちろん完敗。あるいは別のときには、ドロップショットを打ちまくったりしたこともあったなぁ。お姉ちゃんも、私と対戦するときは普段のプレースタイルとは異なる戦い方をするのよ。ボールをしっかり返して、ミスを減らすようなプレーになるんだから」
―― あなたは、負けるのは嫌いですよね?
「うん」
―― なのに、お姉ちゃんにはどんなに負けても、挑み続けた。これって矛盾してません?
「う~ん、そうは思わないわ。いつも負け続けていたから、もうそれが普通の状態で、負けているという感覚もなくなっていたのかもしれない。それに、お姉ちゃんとプレーするときはいつも"トラッシュトーク"もしていたから! 楽しみながら練習していたと思います」
◆ ◆ ◆
1歳半上の姉に挑み続けた幼少期の日々を経て、大坂なおみは年齢上限も国籍も関係ない国際テニス協会(ITF)主催の大会へと参戦するようになる。初めて彼女が公式戦の場に姿を現したのは、2011年10月のこと。
その初試合から直近の東レPPOに到るまでの全戦績リストを見せると、大坂は、「すごい! これ、私の全部の試合じゃない!」と明るい声をあげた。
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