手術を乗り越えて...クルム伊達公子
「復帰へ1日30時間をリハビリに」 (4ページ目)
――つまり、ドクターは手術をすれば、激しい動きのテニスはともかく、スキーはできるようになると言ってくれたということですか?
「い え、まあ、あなたのスキーだから......という言い方で、必ずしも保証はできないというニュアンスでした。1、2本なら手術をしなくてもOKかもわからないで すが、この性格ですから(笑)。それじゃ終わらない。何しろ体を動かすことが好き、動かしてさえいれば、細胞が正常でいられるというか、まぁジーッとして いると、危なくなっちゃう回遊魚みたいな人間ですから」
――回遊魚? 確かにコートの中では水を得た魚のごとく動かれました。ファンが思い出すのは、対シュテフィ・グラフ(ドイツ)との激闘ですが、ご自身の中ではいかがですか?
「自分より上の、トップ選手と試合をすると、自分を引き上げてくれるものが出てくるんです。空気感の強い人と対戦すると、自分の中に秘められていたものが露(あらわ)になって、自分でも驚くことがありますね。
強い人と試合をするときはセンターコートでの試合となり、そのコートの持つ空気感とそこに集まる観客が運んできてくれるものもあって、思いもしなかったものも出せる場合もあります。もちろん、試合では相手がいるので噛み合う、噛み合わないはあるのですが......。
1996年4月、有明のフェドカップ(7-6、3-6、12-10で勝利)から、7月のウィンブルドンの準決勝(2-6、6-2、3-6で敗戦)のグラフ 戦を覚えていてくださる方は少なくありません。でも、私の中ではその流れで言うなら、あまり取り上げられないのですが、3月のマイアミ(リプトン国際) 準々決勝のグラフ戦。7-6、6-3で負けましたが、初対戦から5年目で、ようやく掴んだものがありました。その手ごたえがあって、次のフェドカップを楽 しみにしていて、そのうえでの勝利でした。自分にとっては深くストーリー性のある96年の3つの試合なのです」
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