【テニス】東レPPO30年の歴史を飾ってきた女王たちの素顔 (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha

ステフィ・グラフステフィ・グラフ「当時の会場だった東京体育館は開場が朝9時だったのですが、グラフはホテル発の一番のシャトルバスに乗って、冬の寒い中、東京体育館の出入り口に8時45分から先頭に立って静かに待っていましたね。練習と試合にしか会場に現れなかったし、待ち時間に他の選手とおしゃべりをすることもなかった」と、日本の大会スタッフにも強い印象を残している。それだけ試合に集中していたのだ。 

 一方で素顔はまだ17歳の少女。「ごく普通の女の子でしたね。雑誌の特集でインタビューと写真撮影があり、カメラマンがポーズを取ってほしいと注文したら『こんなことやったことない。恥ずかしい』と、嬉しそうな、恥ずかしそうな表情をしていた」そうだ。

 その後グラフは1990年の第7回大会でアランチャ・サンチェスに快勝して2度目の優勝を飾り、1994年の第11回大会はマルチナ・ナブラチロワにストレート勝ちして3度目の東レPPO制覇を成し遂げた。2000年の第17回大会では、前年に引退したグラフが伊達公子との引退試合に臨み、ファンから別れを惜しまれた。
伊達公子伊達公子
日本人唯一のチャンピオン、伊達公子

 1995年の第12回大会。前年にトップ10入りを果たした伊達は、武器のライジングショットが冴えて上位シード勢を次々と撃破する快進撃を演じた。決勝でも188cmのダベンポートを翻弄して、日本人選手として初の大会優勝を成し遂げた。伊達自身にとっても、グランドスラムに次ぐティアⅠ格の大会での初のタイトルとなった。

 日本の女子テニス界に現れたスーパースターの活躍によって会場には大観衆が集まり、テレビ視聴率も15パーセントと歴代1位を記録。東レPPO30年の歴史の中で、日本人の優勝者はいまだ彼女一人しかいない。

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