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元ラグビー日本代表・五郎丸歩「尖っていた」大学ルーキー時代 私生活でも「すれ違う奴ら、全員倒してやる」 (4ページ目)

  • 齋藤龍太郎●取材・文 text by Ryutaro Saito

【4年生の先輩たちとよく喧嘩した】

 だが、チームを高みへと押し上げたいという五郎丸の強い思いは、時に上級生との軋轢(あつれき)を生んだ。

「すごく衝突しました。特に3年生の時は、当時4年生でのちにヤマハ発動機ジュビロでもチームメイトになる曽我部(佳憲)さんとぶつかっていました。4年の矢富(勇毅)さんが仲裁に入ったりして、よく喧嘩していましたね。

 その原因は、だいたい『4年生のやり方は違うんじゃないか』みたいなことでした。実は『この人はこう思っているんだろう』という想像の世界で対立していたんですけどね。

 当時は『荒ぶる』を歌うために各学年がグッと固まって、下級生も含めて全員が支え合っていくスタンスだったのですが、僕が3年生の時の4年生の代は、学年としてはまとまっているものの個が強かったので、『そんなことで本当に"荒ぶる"を目指せるのか』という疑問が湧いてきたんです。

 圧倒的なトップだった清宮さん(五郎丸が2年生まで薫陶を受けた清宮克幸・元監督。現・日本ラグビーフットボール協会副会長)がちょうど代わられた直後で、中竹さん(3年生から指導を受けた中竹竜二・元監督)というまったく違う指導法とリーダー論をお持ちの方が入ってきたので、部全体が戸惑っていた時期でもありました。

 そんなことも重なった影響で、夏合宿でも練習を取りやめて話し合いをする日が設けられたほど、とにかくよく衝突しましたね。それでものちのち、お互いの芯の部分を理解することはできました」

 表層的には生意気で尖っていたように見えたかもしれない、若き日の五郎丸歩──。だが、その実像はただただ自身の成長と早稲田の勝利を追い求めていた「純真無垢なラグビーマン」だったのだ。

(つづく/文中敬称略)

◆五郎丸歩・中編>>大先輩のレジェンドに「大畑!下がれ!」と呼び捨て


【profile】
五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)
1986年3月1日生まれ、福岡県福岡市出身。現役時代はフルバック。3歳でラグビーを始める。佐賀工業高では全国高校ラグビーに出場し、早稲田大では全国大学選手権を3度制覇。19歳で日本代表に初キャップ。通算57キャップ。トップリーグではヤマハ発動機ジュビロで5度のベストフィフティーン、3度の得点王に輝き、通算1282得点は歴代1位。2014年度は日本選手権初優勝に貢献。2015年ラグビーワールドカップに出場し、南アフリカ戦の歴史的勝利をはじめとする3勝の立役者となる。2021年の現役引退後は静岡ブルーレヴズのCROとしてクラブ経営に尽力し、現在は一般社団法人Future Innovation Labの共同発起人として地域振興などにも注力するなど、さまざまな活動を展開。

著者プロフィール

  • 齋藤龍太郎

    齋藤龍太郎 (さいとう・りゅうたろう)

    編集者、ライター、フォトグラファー。1976年、東京都生まれ。明治大学在学中にラグビーの魅力にとりつかれ、卒業後、入社した出版社でラグビーのムック、書籍を手がける。2015年に独立し、編集プロダクション「楕円銀河」を設立。世界各地でラグビーを取材し、さまざまなメディアに寄稿中。著書に『オールブラックス・プライド』(東邦出版)。

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