元ラグビー日本代表・五郎丸歩「尖っていた」大学ルーキー時代 私生活でも「すれ違う奴ら、全員倒してやる」 (2ページ目)
【早慶戦で不服そうな顔がテレビに】
福岡県で生まれ、名門・佐賀工業高校でひたすらラグビーの腕を磨く日々を送っていた五郎丸にとって、初めての東京の地で、早稲田大学ラグビー蹴球部の先輩や大人たちと接するのには、相当な覚悟が必要だった。
「地方都市から出てきた僕にとって、東京はすべてがカルチャーショックでした。それでも自身のベースは九州で作ってもらったという自負があったので、早稲田では『弱いところを見せちゃダメだ』という意識がありました」
大学1年で早くもレギュラーの座をつかんだ五郎丸だったが、伝統の早慶戦でイエローカード。ピッチから10分間一時退出することになった。そのレフリングに納得できなかった五郎丸の不服そうな顔が、テレビカメラに抜かれた。
「それもあって『五郎丸はいつも、ふてくされている』と見られるようになったのかなと思います。ただ、そう思われるのがイヤだなと感じたことは、特になかったですね」
生意気な1年生──そんな「五郎丸歩像」が一部で勝手に作り上げられたというが、当の本人は歯牙(しが)にもかけなかった。
「アカクロ(早稲田大学ラグビー蹴球部のファーストジャージー)を着てピッチに立っていること自体が(ポジション争いを制した)何よりの証明なので、誰に何を言われようとも気にしなかったです。そんなことよりも4年生に『荒ぶる』(大学日本一に輝いた時のみ全員で歌うことが許される同部第2部歌)を歌ってもらって、送り出すことだけにフォーカスしていました。
まだあまり知識のない1年生だったので、四六時中、試合や練習のビデオを見ながら必死で練習についていく毎日でした。それでも自分には(アカクロとしての)責任があると考えていたので、周りからどう思われているのかを気にしている余裕はまったくなかったですね」
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