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ラグビー日本代表2015「陰の立役者」廣瀬俊朗はキャプテンを外されてピッチに立てなくてもサポートし続けた (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【たとえ試合に出られなくても...】

 ジョーンズHCはハードワークで知られていた指導者。エディージャパンが立ち上がると、「ヘッドスタート」と呼ばれる朝5時からのきつい練習が始まった。30歳を迎えようとしていた廣瀬は、常に先頭に立ってチームを引っ張り続けた。

 そのハードワークの成果は、確実に結果として返ってくる。エディージャパン初年度は欧州遠征で初めてヨーロッパ勢(ルーマニア代表、ジョージア代表)に勝利し、2年目の2013年6月には史上初めてウェールズから白星を挙げた。

「廣瀬は2年間、すばらしいキャプテンとして務め、本当に強いチームを作ってくれた」(ジョーンズHC)

 そう褒められた廣瀬だったが、2014年の春、つらい現実にぶつかる。「試合に出るポジションを保証できない」として、ジョーンズHCが廣瀬をキャプテンから外したのだ。後任にはリーチ マイケルを指名し、さらにはチーム事情によりWTBだった廣瀬にSOへの挑戦を命じた。

 それでも廣瀬は、決して下を向くことはなかった。

「チャレンジするだけでした。日本代表でプレーできること、SOとして新しい挑戦ができることもうれしかった」

 ジョーンズHCの過酷な練習スケジュールも、廣瀬は全力でやり通した。その結果、エディージャパンはテストマッチ11連勝や世界ランキングひと桁(9位)など、日本ラグビーとして初めての快挙を次々と成し遂げる。そのチームにおいて、廣瀬の貢献度は決して小さくなかった。

 そして迎えた2015年。ジョーンズHCから「ファーストチョイスではない」と言われながらも、廣瀬は「ここまで来たら、このチームの行く末を見てみたい」とサポートし続けた。

「試合に出たいですが、選ぶのはエディーさん。たとえ試合に出られなくても、今、チームから求められていること、自分がやれることをひたすらやるだけでした」

 廣瀬のピッチ外での献身があったからこそ、ワールドカップで3つも勝てた。それは間違いない。勝ち点差で決勝トーナメントには進出できなかったが、日本代表メンバーは胸を張って帰国した。

「試合に出られなかったのは悔しいですが、くじけずにがんばっていれば、次のフィールドでも何かの成長につながる。エディーさんの厳しい練習を通して、やっぱりタフになってきました。今後の人生、何があってもへこたれないかな(笑)」

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