大学ラグビーブームを盛り上げた「小さな巨人」 永友洋司は北島忠治監督のひと言でスクラムハーフの才能を開花させた (3ページ目)
【ウェールズ代表を翻弄して撃破】
大学を卒業した永友は、攻撃ラグビーを掲げるサントリーに入部する。当時ワインレッドを基調としていたジャージーをまとった姿も、また格好よかった。
社会人になった永友にとってひとつ目のターニングポイントは、やはり1995年度だろう。土田雅人監督(現・日本ラグビー協会会長)の下、永友は入部3年目の若さでキャプテンを任された。
全国社会人大会の準々決勝。永友率いるサントリーは、7連覇中だった神戸製鋼(現・コベルコ神戸スティーラーズ)と対戦する。17-20の3点ビハインドで迎えた後半40分、PGのチャンスを得ると、永友が冷静にプレースキックを決めて同点に追いつき、試合はそのままノーサイド。トライ数の多かったサントリーが準決勝進出を果たし、神戸製鋼のV8を阻止した。
準決勝では東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス東京)を倒し、決勝は三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)と27-27で引き分けて両チーム優勝。トライ数差で勝ったサントリーが日本選手権に進出することになり、最後は永友の母校・明治大を49-24で下して創部16年目にして初の日本一に輝いた。
2001年6月にも、永友にとって社会人時代の集大成となった試合があった。東京・秩父宮ラグビー場でサントリーがウェールズ代表と激突したジャパンツアーの記念マッチだ。
「田中澄憲に替わって出場したのですが、すごく記憶に残っています」
後半途中から出場した永友は、ロングパスによってテンポを変えることで相手に主導権を握らせず、45-41でウェールズ代表から勝利。2013年に初めてウェールズ代表に勝利した日本代表より10年以上も早く、サントリーは世界的強豪から白星を挙げたのだ。
永友の日本代表キャップは8。明治大やサントリーでの存在感に対して、日本代表での活躍は多いほうではない。当時のSHには堀越正己や村田亙といった能力の高い選手が揃っていたため、キャップを積み重ねることはできなかった。
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