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ラグビー堀江翔太が現役引退を決めた理由 元日本代表キャプテンは指導者の道へ進む (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

――引退後は、トレーニングを指導するS&C(ストレングス&コンディション)コーチになるそうですね。

 8年前、首の手術をしたあと、トレーナーの佐藤義人さんと出会って、トレーニングを続けてきました。佐藤さんの運営する「SATO.SPORTS」には、ラグビーだけでなく、サッカーや女子バレー、スノーボードなどいろんなスポーツの選手が来ています。初めの方は僕も必死でしたが、4年くらい経つと余裕が出てきて、いろいろとトレーニングについて言えるようになった。正しい身体の使い方をすればケガなくパフォーマンスが上がるという佐藤さんの考えを、もっといろんなスポーツに広めていきたいと思うようになりました。僕はラグビーを頑張り過ぎたのはあるかもしれないですが、ラグビーの佐藤さんじゃなくて、スポーツの佐藤さん、という思いがあります。もちろんラグビーにも関わるけど、バスケやサッカーもやっていたので関わってみたいし、アメフトなどにはラグビーのコンタクトの活きる部分を伝えることができますし、トレーニングに関しては違うスポーツの選手にも教えることができると思っています。
 
――これからはいろんな場所、スポーツの現場を巡回していく感じですか?

 群馬に住みながら依頼があれば行く感じで、佐藤さんと一緒にトレーナーを育てる「STA(SATO TRAINERS ACADEMY)」という事業も始めています。そこにも顔を出しながら、佐藤さんと一緒にいろいろ回れたらいいな、と思っています。

――今後、歳を取ったら独立する可能性も?

 そうなる可能性もありますね。でも佐藤さんがなかなか見られない選手を僕が見るみたいな感じが一番いいと思いますし、いろんなスポーツの原石、ユース世代を指導できればいいかな。運もありましたが、僕が(ケガをしてから)8年間でこれだけ動ける体になれるのであれば、12歳から8年間やれば、20歳にはケガが少ない状態でいいプレーヤーになれると思う。小中学校やユース年代にも広がれば、日本のスポーツ界のレベルがグッと上がり、オリンピックに出られるようなトップアスリートが増える。そこに僕の根本、芯があります。10年後、服や古着も好きなのでアパレルショップをやっているかもしれませんが(笑)。

――そういう意味では首や足のケガをしたことも......。

 今は左手の握力は40くらいありますが、首を痛めたときは9しかなくなって爪も切れなくなったので、結果オーライですね!

――いずれにせよ、「勇気なくして栄光なし」という座右の銘を貫いたラグビー人生でしたね。

 高校3年の時、仲のいい女の子の座右の銘がそれで、「めっちゃ、いいやん!」と思って、僕も使わせてもらってきました。それをプレーで体現することができたかな。プロ選手は周りの評価だと僕は思っています。何を残せたのかは、周りの人が思ってくれたこと、言ってくれたことだと思います。きれい事で何かを残そうと思ってやってきたわけではなかったので。

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