元ラグビー日本代表・畠山健介が明かす2015年W杯南ア戦の裏側 フランス大会で日本は 「ベスト8ではないか」 (3ページ目)
──そんな歴史に残る2015年のワールドカップも含め、畠山さんは同じ日本代表のフロントローだった元HO(フッカー)湯原祐希さん(2020年9月29日急逝)と仲よくされていたそうですね。
「ユース代表時代に出会い、日本代表ではずっと一緒に過ごしていました。実のお兄ちゃんのような感じでとても仲良くさせていただきました。遠征先のホテルでは気を遣う相手と同部屋になるのが嫌で、必ず湯原さんと一緒になるようにしていました。
湯原さんは腕時計が好きで、たくさん持っていました。僕はそのひとつ、あるG-SHOCKがどうしても欲しくて『湯原さん、それ、僕にください』とずっと言っていたのですが、ワールドカップのアメリカ戦が終わり、代表最後の日にあらためてお願いしたら『いや、これはあげられない。リーチも欲しいって言っているから』と断られてしまいました。『いやいや、俺でしょ。僕ら、ずっと一緒にいたんだから』と強くお願いしたら、やっともらうことができました。
訃報を聞いた時は意味がわかりませんでした。後日、記事を読んだ時に湯原さんのキャップ数(22)を知って、自分のキャップ数(78)と足したら100になることに気づきました。僕は、最初にお話しした承認欲求の強さから、日本代表で誰も到達していない100キャップを目指していました。それが2016年に78キャップで止まり、『俺は100点満点中78点の選手なのか』とずっとくすぶっていたんです。でも、その時初めて湯原さんと合わせて100キャップだと気づいて『そうか。俺はこの人と一緒だったから、実は100点だったんだ』とスッと腹に落ちて、代表への未練がなくなりました。結果として形見になった湯原さんの時計は今でも大事に使っています」
故・湯原祐希氏から譲り受けたG-SHOCKをつける畠山健介この記事に関連する写真を見る
──そんな様々な出来事を経て、そして多くの方々の思いを背負って、いよいよ日本代表がワールドカップに臨みます。初の2大会連続の決勝トーナメント進出はなるでしょうか?
「これは僕の先輩やもっと上の世代の方々がよく言っていたことですが、いわゆる『ファイナルラグビー』、つまり負けたら終わりのノックアウトステージに入った時に何が大事になるかというと、ディフェンスと規律です。リーグ戦やプール戦よりもその重要度が一段と高まります。日本代表はベスト4に行けると信じていますが、やはりそのような要素や様々な統計などを踏まえるとベスト8ではないか、と僕は予想しています。
ただ、本当に必要なのは『勝ち』とは別にラグビーの『価値』を広めることだと考えています。残念ながらそれができていないのが現状です。僕は現場の選手とファンがその価値を広げる鍵を握っていると考えていますので、その点にも注目しています」
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ただ勝利を期待するだけではなく、その後に向けての懸念も忘れない。桜のジャージーを着て大きな歴史を作った一員として、畠山さんは真剣な眼差しで訴えかける。今回のワールドカップは日本ラグビーの大きな転換点となるのか。期待して見守りたい。
【profile】
畠山 健介(はたけやま・けんすけ)
1985年8月2日生まれ、宮城県気仙沼市出身。ポジションはPR。地元の鹿折(ししおり)ラグビースクールで小2からラグビーを始める。仙台育英高では3年連続花園出場。高校、U19などユース日本代表も経験。早稲田大では1年から出場し、4年時は副将として全国大学選手権優勝に貢献。サントリーでも主力として活躍し、2008年日本代表デビュー。2011年、15年のラグビーワールドカップに連続出場。英ニューカッスル・ファルコンズ、米ニューイングランド・フリージャックスでもプレー。2022年5月、現役引退。日本代表78キャップは歴代5位。現在はグラスルーツレベルの指導、解説、テレビ出演など幅広く活躍中。
著者プロフィール
齋藤龍太郎 (さいとう・りゅうたろう)
編集者、ライター、フォトグラファー。1976年、東京都生まれ。明治大学在学中にラグビーの魅力にとりつかれ、卒業後、入社した出版社でラグビーのムック、書籍を手がける。2015年に独立し、編集プロダクション「楕円銀河」を設立。世界各地でラグビーを取材し、さまざまなメディアに寄稿中。著書に『オールブラックス・プライド』(東邦出版)。
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