「何もできなかった」10番での挫折...松田力也「2019年W杯の悔しさ」を晴らすためにスタンドオフのスキルを磨いてきた (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

── 2020年以降、日本代表で10番を背負うことが増えました。

「田村優さんの下でいい経験をたくさんさせてもらって、準備の仕方なども学ぶことができました。ただ、そのなかで『自分の色を出す』ところも必要だなと感じました。

 僕というプレーヤーの強みをどんどん出していって、周りとコミュニケーションを取って、自分が納得できる、チームを勝利に導けるプレーをしたいなと。そこで勝負したいと思っています」

── 自分の色、とは?

「山沢拓也(埼玉ワイルドナイツ)と李承信(リ・スンシン/コベルコ神戸スティーラーズ)のふたりは、僕とは違う『自分で仕掛けるファンタジスタ系のSO』だと思いますが、僕はFWとBKのコネクションを取って『チームを動かすタイプのSO』かと思います。

 キックやパスでチームをオーガナイズしていくなかで、自分も活きていくようなプレーができればいいと思います。コミュニケーション力や判断力でチームを引っ張っていきたい。もちろん、前が開けば常にランで行ける準備はしていますし、そこで引くつもりもないですが、チームとして一番いい選択をできる選手になりたいです」

── 高校時代はFB(フルバック)で、帝京大時代もSOだけでなくWTB(ウイング)などさまざまなポジションを経験し、日本代表初キャップも15番でした。いつから10番としてプライドを持つようになりましたか?

「たしかに大学時代のはじめはWTBでしたね! タイミングよく1年生の終わりで10番を経験させてもらったことが、今につながっています。たくさんのポジションを重ねてきたことが、その後の強みになっているかと。

 ワイルドナイツに入った時も、そこまで10番に対する思いは強くなかったです。SOベリック・バーンズ(元オーストラリア代表)というすばらしい選手の下で、1年目は12番として彼にうまく光を当ててもらっていただけでした。

 彼がケガをしたこともあって2年目から10番を背負うようになったんですが、すごく苦労しました。ゲームメイクが大変でしたね。ただ、少しずつ10番で出る機会をもらったことで、『もっとレベルアップしないといけない。もっとラグビーを知らないといけない』という自覚が芽生えました。

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