早稲田の強みは高速BK、課題はスクラム。真っ向勝負で見えた「アカクロ」の現在地 (2ページ目)
しかし、実際にはキックで再びボールを獲得することができなかった。しかも、キック処理をミスしたこともあり、敵陣でプレーする時間はほとんどなかった。
「(前半)帝京大さんのエリアでプレーしたのは1分に満たなかった。(ハイパント)キックを使って敵陣で戦おうと指示したのは我々(コーチ陣)。選手は我々の指示に従ってやってくれた。キックチェイス、こぼれ球の最後の詰めが足らなかった」
試合後、大田尾監督は反省の弁を述べ、キャプテンのCTB(センター)長田智希(4年)も「相手のほうがこぼれ球は反応が早かったので修正したい」と振り返った。
また、この試合の流れを決めたのは、やはりスクラムだった。
大田尾監督は就任後、ヤマハ発動機時代の盟友で日本代表経験もある元PR(プロップ)の仲谷聖史をFWコーチとして招聘した。ヤマハ発動機流、つまり現在は日本代表のスクラムコーチを務める長谷川慎コーチのメソッドを導入したというわけだ。
春からFW(フォワード)の8人で低いスクラムを組み込んできた。将来を見据えて3番から1番にコンバートしたPR小林賢太(4年)も「スクラムが試合を決めると言っても過言ではない。武器にしなければ日本一という目標には届かない」と語るほど、日々スクラムのトレーニングに時間を割いてきた。
しかしこの日の試合では、帝京大が武器としていたスクラムに1本目から粉砕されてしまう。
帝京大のキャプテンPR細木康太郎(4年)は「最初のスクラムでプッシュしようと試合前から話していて、ヒットしてから8人が自信を持って足を前に運べた」と破顔。早稲田大は前半だけで3本のスクラムでのコラプシング(スクラムやラック、モールを故意に崩すこと)の反則を犯してしまい、さらにマイボールスクラムでもプレッシャーを受け、こぼれ球を奪われてトライを許してしまった。
一度傾いた流れは、後半になっても止めることはできなかった。小林は「組む前のHO(フッカー)の間合いなどで自分たちが後手に回ってしまった。また、レフェリーのコールに対して自分たちが一番強い形になりきれず、帝京大の強い形のなかで組んでしまった」と悔しそうな表情を見せた。
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