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「ラグビー界の太陽」平尾誠二が旅立って5年。大畑大介が今も人生の指針としている言葉

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • photo by AFLO

元日本代表WTB(ウィング)大畑大介インタビュー@前編

 選手としても、指導者としても、日本ラグビー界に大きな実績を残した平尾誠二氏。53歳の若さで亡くなってから、今年の10月20日で丸5年を迎える。

 平尾監督のもと、日本代表の一員として1999年ラグビーワールドカップを戦い、神戸製鋼でも薫陶を受けた大畑大介氏に、「ミスターラグビー」との思い出や心に残っている言葉を聞いた。

53歳の若さで亡くなった「ミスターラグビー」平尾誠二53歳の若さで亡くなった「ミスターラグビー」平尾誠二---- まず、平尾誠二氏が亡くなって5年が経ちます。大畑さんはどのように感じていますか?

「平尾さんが生きていて一番見たかったのは、2019年のW杯だったと思うんですよ。平尾さん自身、『日本ラグビーを世界へ』という意識をずっと持っていましたから。

 だから(日本代表がベスト8に入って)本当に喜んでくれたと思うんです。日本のラグビーの将来を誰よりも考えていた人なので。スタジアムが桜のジャージーを着たファンで埋め尽くされていたあの光景のなかで、平尾さんもその一部になっていただろうなと思っています」

 父の影響で小学3年からラグビーを始めた大畑氏にとって、伏見工業高(現・京都工学院高)で花園優勝を果たし、同志社大、神戸製鋼、日本代表でも活躍した平尾氏は「ラグビー界の太陽だった」と言う。大学3年から日本代表に選ばれた大畑氏にとって、神戸製鋼に入るきっかけも平尾氏だった。

「平尾さんに『うまくなりたかったら、ウチにこい!』と言われました。当時から日本代表に選ばれていたので、いろんなチームから誘われましたが、いい話しか言ってもらえなかった。でも、平尾さんだけは『本当の君の能力はまだまだだ。でも伸びシロはすごくある。現状に満足してほしくない。神戸で成長してほしい』と言ってくれた。

 将来をすごく期待されている、というのがうれしかった。それに、やっぱり『太陽を振り向かせたい!』という気持ちが一番大きかったですね。誰もが認めている人に認められたいという気持ちもあって、神戸製鋼に進みました」

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