「ラグビー界の太陽」平尾誠二が旅立って5年。大畑大介が今も人生の指針としている言葉 (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • photo by AFLO

---- 平尾氏は1997年から日本代表監督となり、大畑さんは1999年W杯で監督、選手という関係で世界を相手に一緒に戦いました。一番覚えていることは?

「神戸製鋼に入った1998年の9月、アルゼンチン代表戦前のこと。まだ当時は(日本代表で)レギュラーではなかったですが、将来を見越して起用してもらいました。ボールを持ったらガムシャラに、自分のやりたいようにやることが評価されていたと思います。

 それなのに、大学4年の時に大きなケガをしたあと、W杯が近くなった瞬間、日本代表にいることに執着した自分がいて、プレーが消極的になっていた。そんな時、平尾さんに呼び出されて『お前、どうなりたいんや?』と言われた言葉が大きかった」

---- そのひと言で、どう変わったのですか?

「やることもやらないで評価してもらえなくなったら、自分の心にモヤモヤが残ると思いました。それなら今、持っているもの全部出そうと思った。

 大畑大介のバランスシートはいびつな形で、でもそのいびつさに魅力を感じてもらえたにもかかわらず、中途半端に丸くしようとしていた。そこの魅力がなくなっていたことは自分のなかでも感じていたので、『ここでやるしかない』と思ってやりきって、結果トライを挙げた。そこからずっと日本代表で、レギュラーで使ってもらうようになりました。それが一番のターニングポイントになった言葉でした」

---- 怒られたことはなかったのですか?

「しょっちゅう怒られていましたよ(苦笑)。日本代表に入りたての頃、『お前、本当にボール持ってへんかったら、ただの素人やな』と言われていましたから。

 本当に名言ですよね。逆転の発想です。『ボールを持ったら、いいんや。そうしたら、いいプレーヤーなんや』と気づきました。平尾さんは的確に、僕の問題点をどんどん指摘してくれました』

---- 平尾監督と一緒に臨んだ1999年W杯は3戦全敗でした。

「申し訳なかったですね。平尾さんは大きなビジョンを持っていて、世界と戦うためには何をしなきゃいけないのかを常々考えていましたが、当時の僕はそこまで咀嚼できる能力がなかった。

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