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五郎丸歩「日本代表への忠誠心はなかった」。若い頃の正直な思い (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 そんな時、エディーHCに「(オーストラリアの)レッズから話がある。どうだ?」と言われたんです。大会を終えて目標もなくなったので「海外に行くしかないな」と思いました。環境を大きく変えてチャレンジすることは引退後も役に立つだろうと思えたし、当時30歳という年齢もあって、海外に行くならラストのタイミングだったのでチャレンジしました」

---- 2019年W杯に向けてもう一度、日本代表でプレーしたいと思えませんでしたか?

「2015年W杯前の福岡での壮行試合の時、おばあちゃんが生きていて90歳近くでしたけど、おそらく日本代表のジャージーを着てもらって生で観戦できるのは最後だろうと思い、母親に連れて来てもらいました。僕自身も以前から『(2015年が)最後のW杯になる』とずっと言っていたので。

 もう1、2年だけなら日本代表でできたのでしょう。だけど、そういう性格じゃない。4年間の苦しさもわかっていましたから。家族も犠牲にしてきたので、もう無理だなと......。それだったら、現役を続けながら子どもたちに対して普及・広報活動をやっていくのが自分の役目かなと思うようになりました」

---- 昔は「将来は○○大に行きたい!」と語るラグビー少年が多かったですが、今は「日本代表になりたい!」「海外でプレーしたい!」という目標を掲げる子どもが多くなりました。

「それがスポーツ競技のあるべき姿ですよね。でも、それを僕たちがなかなか子どもたちに示せてなかったことを考えると、2015年、2019年のW杯は本当に大きかったなと思います」

---- 五郎丸さんが日本代表でプレーすることによって、子どもたちのなかで桜のジャージーの価値が上がったのではないかと思います。

「2015年W杯で『ベスト15』に選んでいただけるなど、個人としての称賛も浴びられたことを考えると、少しは貢献できたかなと思います。自分の幼少期には『日本代表は世界で勝てない』『日本人選手は海外では活躍できない』という固定概念がありました。しかし、それらをいい意味で崩せたのかなという感じはします。

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