明大FW箸本は大学ラグビー界の超逸材。「打倒・早稲田」へ大一番に臨む (2ページ目)
コロナの影響により、4月から3カ月はまったく全体練習を行なうことができなかった。明治大では箸本を筆頭にリーダー陣は選手寮にとどまり、フィジカルやフィットネストレーニングを続けていたという。7月中旬に行なった自粛明けのフィットネステストで、箸本は自己最高記録を叩き出した。
そんな抜きん出たフィジカルを誇る箸本は、1998年に福岡県で誕生した。小学校1年から玄海ジュニアラグビークラブで競技を始めたが、小学・中学時代はどちらかというとサッカー少年で、司令塔やボランチでプレーしていたという。あまりラグビーに熱心ではなく、「小学校の頃は理由をつけて、月に1度くらいしかクラブにいかなかったですね」と懐かしそうに振り返る。
しかし、中学校時代にアビスパ福岡の下部チームと対戦して大敗し、「サッカーのトップはこんなにすごいのか!」と高校でサッカーをやることをあきらめた。ラグビーも「高校になったらやめたい」と思っていたが、親に「中学のスクール選抜のセレクションに行け」と言われ、渋々行ったという。すると、見事に選抜に選ばれて「だんだんラグビーが楽しくなってきた」と話す。
その後、福岡県スクール選抜の一員として中学時代に全国優勝を果たし、強豪として知られる東福岡高に進学。中学時代まではCTB(センター)などBKでプレーしていたが、ふたつ年上のSO(スタンドオフ)松尾将太郎(東福岡高→明治大→NTTコム)たちとプレーした時に「スピードやスキルがまったく違っていて......」と感じ、箸本は「FWに行ってもいいですか?」と自ら転向を決めた。
FWへの転向について、箸本は「スピードは少し自信があったので、そのスピードを保ったままNo.8などでいろんな動きができたら」と振り返る。この自らの決断が功を奏した。
藤田雄一?監督の指導のもとFWとして頭角を現すと、高校2年時から東福岡高の主力となり、U17日本代表、高校日本代表に選出。高校3年時には主将として花園優勝にも貢献し、その頃から「いつかは日本代表になりたい!」という思いが芽生えていた。
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