ジェイミー・ジャパン、4年間の軌跡。不協和音も乗り越え強くなった (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

 この頃から、「ONE TEAM」になるべく、チームの象徴である赤い甲冑「カツモト」がドレッシングルームに置かれ、チーム内MVPには名前を刻んだ模造刀が渡されるようになった。また、トンガ代表戦やフランス代表戦の出場選手のうち、13名が2019年W杯メンバー。徐々に固定してきたことがわかる。

 2018年は、ジョセフHCがブラウンコーチとともにサンウルブズの指揮にあたり、「日本代表=サンウルブズ」という体制となった。だが、それでもチームはなかなか勝てず、この時期はコーチ陣と選手の間に不協和音が広がったという。

 原因のひとつは、「どうして途中で変えたのか」「なぜ起用されなかったのか」など、ジョセフHCは選手に多くを説明しなかったからだ。そんな折、ジョセフHCのサニックス時代の盟友である藤井雄一郎(現・強化委員長)がキャンペーンディレクターとしてチームに帯同することになる。藤井ディレクターは長谷川コーチとともに、ジョセフHCら外国人コーチと日本人選手の橋渡し役となった。

「日本代表が『ONE TEAM』になったのは、サンウルブズに藤井さんが入ってからでは」

 HO堀江翔太(パナソニック)は、当時をそう振り返る。結果、2018年6月の日本代表戦はほぼサンウルブズのメンバーで戦えたこともあり、イタリア代表とジョージア代表に勝利して少しずつ自信をつけていった。

 また、チームがひとつになるきっかけとなったのは、W杯のちょうど1年前の9月24日から2泊3日で行なわれた「和歌山合宿が大きかった」と話す選手も多い。

 この合宿では、グラウンドではフィジカルやフィットネストレーニングを中心に行ない、残りの時間は「一貫性を持ったパフォーマンス続けるには、どういった準備やメンタルを持って試合に臨むか」「ワールドカップでは、どういったものが障害となるか」など、選手同士で話し合う機会にあてた。

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