2019.10.25

ジェイミー・ジャパン、4年間の軌跡。
不協和音も乗り越え強くなった

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」ラグビー日本代表は、大きなムーブメントを巻き起こした。予選プールを4連勝で突破し、ラグビーワールドカップ初のベスト8進出――。日本ラグビーの歴史を塗りかえることに成功した。

 エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ/現イングランド代表HC)が率いた前回大会、日本代表は予選プールで3勝を挙げながら決勝トーナメントに進出できなかった。この4年間、彼らはどのような強化を図って結果を残すことができたのか、振り返っていきたい。

この4年間で日本代表は「ONE TEAM」になった 2016年9月、ジェイミー・ジョセフHCは就任早々、「ONE TEAM」というスローガンを発表した。だが、「選手との信頼関係を築くのに時間がかかった」と振り返るように、最初からすべてが順風満帆ではなかった。

 ジョーンズHCが退任し、次の日本代表HCが公(おおやけ)になった時、ジョセフHCはスーパーラグビーのハイランダーズ(ニュージーランド)の指揮官。まだ契約期間が残っており、すぐに来日することはできなかった。それでもジョセフHCに白羽の矢が立ったのは、1999年のW杯に日本代表として出場し、現役引退後も2015年にスーパーラグビーを制している世界的名将だからだ。

 ただ、トップリーグで指揮を振るっていたジョーンズHCと違い、ジョセフHCは日本人選手の実力をすべて把握していたわけではなかった。そのため、就任最初の代表メンバーは周りのコーチなどに意見を聞きつつ選出した。

 2016年の秋に選ばれた日本代表は31名。2015年W杯組は代表引退や選出辞退も多く、12名しかいなかった。ちなみに、その31名のなかで2019年W杯メンバーに選ばれたのはFW=3名、BK=6名の計9名。つまり、現在のチームとはほぼ別物だった。

 ジョセフHCはまず初めに、自身の右腕にスーパーラグビーをともに制したトニー・ブラウン、そしてスクラムコーチに長谷川慎を招聘した。そしてブラウンコーチ指導のもと、各ポジションの役割を明確化し、タックルを受けながらパスをつなぐ「オフロードパス」が奨励された。