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命日に日本は南アフリカとの大一番。
平尾誠二にその光景を見せたかった (4ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

 僕はね、中学からラグビーを始めて、スタンドオフ、センター、フルバックはやってきたけど、それ以外は一度もない。でも、そのとき言われたのは、ウイングでした。『できない』とは言えないでしょ。そんなこと言ったら、試合に出られなくなるから。なんだかよくわからないままやりましたよ、ウイング。ラグビー人生で、1回だけ」

 今でこそ、3次攻撃や4次攻撃となればスクラム最前列の巨漢フロントロー(プロップ、フッカー)でもバックスラインに入って走り、ボールを回さなければならない。逆にバックスも、モールやラックでは敵を跳ね飛ばしてフォワード並みの働きをしなければならない。

 だが、当時の日本では、そんなチーム編成は考えられなかった。しかし平尾の頭のなかには、時代を先取りしたそれがあった。「常に2、3歩先を行くラグビー観を持つ」と言われる平尾の原点を見たような気がしたものだ。

 取材はそれからも続いたが、まとまった時間を取ってもらったのは、神戸製鋼が新日鉄釜石に並ぶV7に挑むシーズン前だった。

 キャプテンは平尾から大西一平、さらに細川隆弘へと受け継がれていたが、平尾は現役バリバリ。ポジションはルーキーの元木由記雄、吉田明にセンターを任せ、古巣のスタンドオフに戻っていた。ゲームメイクの中心は、もちろん平尾。取材のテーマは、「神鋼ラグビーの頭脳」(『スポーツぴあ』「神戸製鋼の真髄」)。

 日本選手権で連覇を重ね、「世界を目指す」と公言するまでにチームを変革したことについて、平尾は持論を展開した。

「スポーツの原点というのは、たとえば子どものころに始めた野球――それも近所の子どもたちが集まってやっていた三角ベースのノリでしょ。自分の意思で始めて、日が暮れてボールが見えなくなるまで夢中でやって、母親が『晩御飯だよ』と呼びに来ると解散。

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