2019.07.26

堀越正己が思う日本代表。「決勝トーナメントで勝つ戦術を選択した」

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

レジェンドたちのRWC回顧⑧ 1995年大会 堀越正己(後編)

 日本代表のスクラムハーフ(SH)として活躍した堀越正己さんは、1995年ラグビーワールドカップ(RWC)を経験し、「世界」との差を痛感させられた。リザーブに回ったニュージーランド戦では17-145と大敗。フィジカルの差が浮き彫りとなった。

ラグビー日本代表について語った堀越正己

 大会としては、アパルトヘイト(人種隔離政策)のために国際舞台から締め出されていた南アフリカが初めて母国開催のRWCに出場し、初優勝に上り詰めた。『One Team, One Country(1つのチーム、1つの国)』が大会スローガンだった。新生南アの「祝祭」みたいな大会で、いたるところで陽気なアフリカ民謡「ショショローザ」が歌われていた。

 映画『インビクタス~負けざる者たち』(クリント・イーストウッド監督)では、モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラ大統領(故人)を中心に当時の舞台裏がドラマチックに描かれている。ワールドカップの試合もうまく再現されており、南ア主将のフランソワ・ピナール役の俳優、マット・ディモンの迫真演技が当時を思い出させてくれる。

 そういえば、この大会の後、国際ラグビー評議会(IRB=現ワールドラグビー)はラグビーの「オープン化」を宣言した。

 では、95年の大会で目をつむって真っ先に思い出すことは何でしょうか。そう問えば、堀越さんは本当に目を閉じた。実直、誠実、素直なのだ。

「勝ち負けはともかく、治安が悪いところに来たんだなって感じました」

 自身がコメンテーターを務める番組出演の直後、そのテレビ局の一階のカフェでのインタビューだった。白いワイシャツにエンジ色の立正大のネクタイ。紺色のブレザーの左襟には緑色のラグビーワールドカップ開催都市・埼玉県熊谷市の四角のピンバッジがつけられていた。

――治安が悪いといっても、その前の1991年RWCのジンバブエ戦の会場となった英国領の北アイルランド・ベルファストも銃を持った迷彩服の兵士が警備していました。

「そうですね。大会の後、僕らが泊まったホテルが爆破されたと聞きました。でもイギリスだから、それほどの危機感はなかったんです。南アフリカは違いました。移動するたび、警察の人が最低3人はついてきていました。僕らは3試合ともブルームフォンテーンという街に約1カ月いたんですが、練習以外ではあまり、ホテルの外に行けませんでした。外に出たのは、近隣の子どもたちとの触れ合いぐらいでしょうか。ずっと閉じ込められた空間にいたなという印象なんです」

――実際、危ない目にあったんですか。

「まったく、ありません。3試合とも同じスタジアムでやったので、周りの観客が”日本びいき”になってくれていました。ホームみたいな雰囲気で。我々がトライをとったり、いいディフェンスをしたりしたほうが、場内が盛り上がっているという感覚はありました」

――やはりホスピタリティー(おもてなし)は大事ですよね。

「はい。そうですね」