ラグビーW杯開催決定! 釜石が目指す真の復興とまちづくり (2ページ目)
だが、生きるためには希望がいる。そのひとつがW杯招致だった。釜石決定の直後、このW杯招致を推進してきた釜石シーウェイブス(SW)事務局の浜登(はまと)寿雄さんは泣きながら、「ありがとう」を繰り返した。その5文字に万感の思いを込める。
浜登さんは津波で家を流され、両親と妻、三女を亡くした。こう、コトバを足した。
「ありがとうございます。いろんな人に感謝したいと思います。ようやくスタートラインに立った......。というのは、建て前で、やっぱりここまでいろんなことがあったので......。絶対、成功させなきゃ、そうじゃなきゃ、亡くなった人は浮かばれないし、釜石でやる意味がなくなってしまう。釜石でしかできないワールドカップというものを成功させたい」
まだ釜石にはW杯用のスタジアムがない。財源もない。アクセスや宿舎など、環境も悪い。なのに、なぜ人口約3万6千の地方都市、釜石が選ばれたのか。誤解を恐れずにいえば、まずは被災地だったからだろう。「被災地に希望を」「子どもたちに夢を」という招致関係者の熱意と努力があったからである。
スタジアムの後利用も考えた「身の丈」に合う綿密な計画も戦略もあった。ワールド・ラグビー側の釜石視察の際、招致関係者は「ラグビー」を前面に出し、好印象を得ようと、英国人好みのサンドイッチのパンの厚さにまでこだわった。必死だったのである。
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