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平野早矢香が振り返る卓球界初のメダル。試合前日の夜に「無理です」と答えたまさかの変更 (2ページ目)

  • 佐藤主祥●取材・文 text by Sato Kazuyoshi

――昔は、国内で行なわれているTリーグ、海外の大会の中継もほとんどありませんでしたからね。その後、平野さんは"卓球王国"である中国のリーグに参戦したそうですが、どういった考えがあったんですか?

「中国は卓球界のトップですし、アジアの中でも断トツに力があったので、そこへ参戦することが自分自身のレベルを上げるのに一番いいと思いました。そして次の五輪へと向かっていこう、という気持ちから決断しました。私がプレーしたのは、下部リーグの甲Aリーグ(中国超級リーグの下部リーグ)で、トップリーグではなかったのですが」

ロンドン五輪の活躍について語った平野早矢香 photo by Tatematsu Naozumiロンドン五輪の活躍について語った平野早矢香 photo by Tatematsu Naozumiこの記事に関連する写真を見る――それでも"卓球王国"と呼ばれる中国。実際に現地に行って、その強さをさらに肌で感じたのでは?

「やはり強いですね。私は学生の頃にも中国で合宿させてもらっていて、ナショナルチームの2軍選手とその候補選手の総当たりのリーグ戦みたいなものに参戦したんですけど、そこにも強い選手が本当にたくさんいるんです。その中から、ふるいにかけられて、最後に残った選手だけが国際大会に出場できる。代表選考から漏れた選手は、帰化選手として他国のエースとして活躍していたりもします。なので、選手の上を目指す意識がものすごく高いんですよ。

 今の日本の選手たちにとって『打倒・中国』は現実的な目標になっていますが、当時の私たちは中国にどう勝つか、というより、中国と対戦するまでどう勝ち上がっていくか、という感覚でした。いざ中国に本気で勝とうとしても、『どうしたらいいのか......』となってしまう。それぐらい中国との差は大きかったと思います」

――それでも、平野さんは2011年に世界ランキングを自身最高の10位まで上げました。一番いい状態で翌年のロンドン五輪に臨まれたと思いますが、本番までどういった準備をしていたんですか?

「ライバルとなる国、対戦が想定される国を想定して練習していました。特にダブルスですね。例えば、ドイツと当たったら私と福原さんのペア、韓国のカットマンのペアが相手だったら私と石川選手のペアというように、1カ月半前ぐらいから各国の選手やダブルスのタイプを研究しながら練習していました」

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