水谷隼の兄貴分がTリーグのため奮闘。「卓球をつまみのような存在へ」 (2ページ目)

  • 城島充●文 text by Jojima Mitsuru

――選手を指導指揮しながら、チーム運営にも関わる。なかなか困難なミッションに思われますが、そのオファーをすぐに快諾されたんですか?

「もちろんです。プロリーグについてはずっと前から日本に必要だと思っていましたし、携わりたいというより、携わらなきゃいけないという気持ちでした。重要なのは、最初の1ページ目に自分がいることだと思っていましたから」

――着任されてすぐ、韓国の鄭栄植選手や、香港の黄鎮廷(ウォン・チュンティン)選手の獲得に動かれましたね。

「着任した時点で、頭のなかには"打倒・木下"という思いがありました。リーグを盛り上げるためには、水谷隼や張本智和、松平健太ら世界選手権の日本代表選手たちが中心の木下マイスター東京に対抗できるチームが必要です。そのためには、うちのチームも岸川聖也(コーチ兼任)や吉村真晴といった日本人のトップ選手に加え、海外から名前と実力のある選手を獲る必要がある、と。海外の選手を入れることで、Tリーグのマーケットを大きくする狙いもありました」

3歳の卓球少女との契約会見で、T.T彩たまの選手たちとポーズをとる坂本監督兼執行役員(左) photo by Sankei Visual3歳の卓球少女との契約会見で、T.T彩たまの選手たちとポーズをとる坂本監督兼執行役員(左) photo by Sankei Visual――鄭栄植選手や、黄鎮廷選手のほかにも、ポルトガルのティアゴ・アポロニア選手も獲得しました。そうした外国のトップ選手たちをどうやって口説いたのですか。

「僕は18歳でドイツに行って、ブンデスリーガの2部からスタートして3年目に1部に上がりました。名門と言われるデュッセルドルフで2年間プレーしましたが、この間に言葉の問題や慣習の違いで苦労したので、外国でプレーすることの大変さは身にしみてわかっている。だから、彼らが抱く不安に対して、僕の経験を話しながらその不安を取り除いてあげました。その意味でも、ドイツでの体験はとても役に立ちました」

――ドイツでは、岸川選手や水谷選手たちと一緒に暮らしていたんですよね。

「そうです。1LDKの一軒家で暮らしていました。まだ岸川が中学3年、隼は中学2年生でしたね。もうひとり、村守実選手と4人での共同生活でしたが、そりゃもう、めちゃくちゃでしたよ。隼は朝が弱くてなかなか起きないし(笑)。でも、あんな経験はなかなかできませんし、生活も練習も5年近くずっと一緒だったから、僕たちには家族以上の絆が生まれたと思います」

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