【卓球】福原愛・石川佳純。
日本卓球を変えたふたりの天才少女 (3ページ目)
石川が代表入りした当時、18歳になっていた福原は、エースとしての自覚が、求められ始めた時期でもあった。女子代表の近藤欽司監督(当時)は、2007年5月、世界選手権前の代表合宿で、取材公開日に練習試合を組み、福原と石川を対戦させた。ふたりにとってこれが初めての対戦だった。近藤監督の狙いは、福原には、注目される中でも常に力を発揮するエースに育ってほしいということだった。
報道陣の興味は当然この試合に集中した。結果は3―1で福原が勝った。しかし試合後、福原は珍しく不満げだった。
「ちょっとイラッときました。見せ物かって!」
注目されることには慣れていたが、石川との初対戦が、わざわざ取材公開日に行なわれたことには、素直に受け入れられないものがあった。
こうした中で、ふたりの関係が深まっていくには、少し時間が必要だった。
きっかけのひとつは、2009年に横浜で開催された世界選手権で、福原が2回戦で敗退する一方、16歳になった石川が、日本選手では最高のベスト8になったことだ。「みんなが憧れる愛ちゃんに少しでも追いつきたい」と語っていた石川だが、実力面で、すでに日本の二枚看板になったことは明らかだった。
その中で2010年の世界選手権団体戦、二枚看板として銅メダル獲得に貢献したことが、ふたりを決定的に結びつけた。メダルをかけた韓国戦は3勝2敗、5時間に及ぶ歴史的な試合となり、3勝は福原、石川、平野が挙げた。最後の勝利を福原が挙げると、メンバーは抱き合って号泣した。
「みんながいたから頑張れた」と福原は涙ながらに語った。この時、世界ランキングでは福原8位、平野14位、石川29位。ロンドン五輪のメンバーは、この3人になるだろうことは、誰の目にも明らかとなり、最大の目標であるロンドン五輪団体戦のメダル獲得に向けて、選手同士でもお互いの力が必要だと、はっきり意識するようになった。
ただ、五輪開催年の2012年を迎えた時、福原にはひとつだけ、石川と平野に対して引け目を感じていることがあった。それは福原だけ、日本選手権で優勝していなかったことだ。平野は5回も優勝していたし、2011年には石川が17歳11カ月で初優勝を果たしていた。
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