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NBA伝説の名選手:マグジー・ボーグス 160cmでもNBA通算14年間プレーし続けた「奇跡の男」 (2ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【新設球団・ホーネッツで才能開花】

ホーネッツではLJ(ジョンソン、左)、Zo(モーニング、右)とのトリオでプレーオフチームに photo by Getty ImagesホーネッツではLJ(ジョンソン、左)、Zo(モーニング、右)とのトリオでプレーオフチームに photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る ルーキーシーズンから79試合に出場したボーグスは、1シーズンでブレッツを去ることになる。リーグの球団拡張に伴い、1988年6月に行なわれたエクスパンション・ドラフトで、シャーロット・ホーネッツから指名を受けたからだが、この移籍がキャリアの大きな転換点となる。

 初代ヘッドコーチのディック・ハーターはボーグスをベンチから起用したものの、結果が出ずにわずか1シーズンで解任される。そして、その後を継いだアップテンポなオフェンスを採用したジーン・リトルズとアラン・ブリストウというふたりの指揮官によって、ボーグスはプレーメーカーとしての才能が開花する。NBA3年目となる1989−90シーズンは81試合中65試合で先発し、平均9.4点、10.7アシストと活躍した。

 1991年にはラリー・ジョンソン、1992年にアロンゾ・モーニングのドラフト指名に成功したホーネッツは、1992-93シーズンのレギュラーシーズンで44勝38敗の成績を残してチーム史上初となるプレーオフに進出。ボストン・セルティックスとの1回戦でボーグスは、平均8.8点、9.8アシストでカンファレンス準決勝進出に貢献した。

 1992-93から3シーズン連続で2ケタの平均得点を記録したが、1995年夏に左ひざの手術を受けたあとに3度故障者リスト入りするなど苦しみ、スタッツも下降し始める。

 1995年11月にトレードでモーニングがマイアミ・ヒート、1996年7月にジョンソンがニューヨーク・ニックスに移籍。ブリストウコーチもプレーオフ進出を逃した1995−96シーズンを最後にチームを去ると、後任のデーブ・コーウェンスは、左ひざの問題を理由に、ボーグスは引退を考えるべきという姿勢を取った。チームとの関係も徐々に悪化し、1997年11月にゴールデンステイト・ウォリアーズへトレードされ、チーム創設時から10年間プレーしたホーネッツに別れを告げたのである。

「我々にはチャンスがあった。紙面上での我々はよかったけど、そういった物事は起こるもの。ホーネッツはアロンゾに投資したくないと判断し、彼はその才能をサウスビーチ(マイアミ)に持っていった。我々がやろうとしていたことで一貫性をもたらす本物のセンターを失った。その後、LJ(ジョンソン)がケガをするなど、多くのことが起こったんだ」

 こう語ったボーグスは、ウォリアーズで過ごした1シーズンで5.8点、5.5アシストを記録。1999年夏にフリーエージェントになったボーグスは、トロント・ラプターズと契約。ホーネッツ時代のチームメイトだったデル・カリー(ステフィン・カリーの父)と一緒にプレーし、バックアップのポイントガードながら、2000年3月3日のセルティックス戦でキャリア最高となる24点を記録した。

 しかし、ひざの問題に悩まされ続けた結果、2000-01シーズンに出場できたのはわずか3試合。2001年2月にニックスへトレードされたが、チームに合流しなかった。8月のトレードでダラス・マーベリックスに移籍するも、母がガンと闘っていることを理由にプレーしないことを決断すると、NBAのコートに戻ってくることはなかった。

 200cm超の大男たちのなかで、160cmの身長で活躍し続けたボーグスは、まさにNBAの歴史における「奇跡」と言える。試合へのアプローチについて、ボーグスは次のように語っている。

「常に自分がフロアのリーダーだと感じていた。チームメイトもそれを知っていたし、尊敬していた。だから、私はそういうプレーをしなければならなかった。チームが勝つために何が必要かを常に理解しなければならなかった。それが僕のポジションに求められていたことなんだ」

 現役引退後はWNBAのシャーロット・スティング(2007年1月に消滅)、ユナイテッド・フェイス・クリスチャン・アカデミーという高校などでヘッドコーチを経験。その後はホーネッツのアンバサダーを務める傍らで、自身が設立した財団の運営を続けている。

【Profile】マグジー・ボーグス(本名の英語表記はTyrone Curtis Bogues)/1965年1月9日生まれ、アメリカ・メリーランド州出身。1987年NBAドラフト1巡目12位指名。
●NBA所属歴:ワシントン・ブレッツ/現ウィザーズ(1987-88)―シャーロット・ホーネッツ(1988-89〜1997-98途)―ゴールデンステイト・ウォリアーズ(1997-98途〜1998-99)―トロント・ラプターズ(1999-2000〜2000-01)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 青木 崇

    青木 崇 (あおき・たかし)

    1968年群馬県前橋市生まれ。1992年から月刊バスケットボールとHOOP誌の編集者を務めた後、1998年に独立して渡米。アメリカ・ミシガン州を拠点にNBA、NCAA、数々のFIBA国際大会を取材。2011年から拠点を日本に戻して活動を続け、Bリーグの試合で解説者も務めている。

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