NBA伝説の名選手:ダニー・エインジ 負けん気を全面に出す「闘将」スタイルで存在感を発揮した名脇役 (2ページ目)
【1980年代セルティックスの名脇役として2度の優勝】
1980年代のセルティックスでは主力選手としてチームの黄金時代に寄与した「(NBA)ドラフトの前に、私はバスケットボールをすると決めた。私の心のなかでは、野球ではなくバスケットボールをやりたかったんだ」
MLBのキャリアに終止符を打ってバスケットボールに専念することを決断したエインジは、1981年のドラフト2巡目31位でセルティックスから指名される。当時のヘッドコーチ(HC)、ビル・フィッチからは"ショットの成功率は打率より高い"と揶揄されるなど、1年目は10.6分の出場時間で平均4.1点、FG成功率35.7%という厳しい結果に終わったが、2年目で先発の座をつかむと、7試合で20点以上を記録するなど、平均得点が9.9まで上昇する。
K・C・ジョーンズがセルティックスの新指揮官となって迎えた3年目の1983−84シーズン、エインジはジェラルド・ヘンダーソンのバックアップに役割が変わり、出場時間は前シーズンの25.6分から16.3分に減少。プレーオフでは5分以下に終わったのが5試合もあった。しかし、ロサンゼルス・レイカーズとのNBAファイナルでは、シリーズを1勝1敗のタイにした第2戦で12得点、第6戦で10得点を記録し、セルティックスのNBA制覇に貢献した。
オフにヘンダーソンが移籍したことで、エインジは1984−85シーズンからデニス・ジョンソンと先発ガード陣を構成。セルティックスの成功に欠かせない選手となっていく。レギュラーシーズンでは平均34.2分の出場時間を得ると、平均12.9得点、5.3アシストと活躍し、プレーオフでも平均11.0得点を記録した。NBAファイナルではレイカーズに2勝4敗で2連覇を逃したが、翌1985-86シーズン、自身2度目となるNBA王座を獲得する。特にプレーオフではその存在感は際立ち、ミルウォーキー・バックスとのカンファレンス決勝第4戦で48分のフル出場で25得点、NBAファイナルではヒューストン・ロケッツとの第6戦で19得点と、ともにシリーズの決着をつける試合ですばらしい活躍を見せた。
1987年はNBAファイナルで再びレイカーズに2勝4敗で敗戦。平均15.7得点をマークして初のオールスター選出も果たした1987−88シーズンは、デトロイト・ピストンズにNBAファイナル進出を阻まれた。
ラリー・バードを筆頭に主力選手の高齢化が進むなか、セルティックスは1989年2月23日にエインジをサクラメント・キングスへトレードすること決断。エインジは新天地・キングスでの28試合で平均20.3点を記録し、翌1989−90には1シーズンあたりのキャリア最高となる平均17.9点と活躍した。しかし当時のキングスは低迷していたこともあり、エインジは1990年8月にポートランド・トレイルブレイザーズへトレードされる。その前シーズン、NBAファイナルに進んでいたブレイザーズゆえに、その移籍はエインジにとって再び優勝を狙えるチームでプレーする機会を得ることを意味していた。
2 / 3