NBA伝説の名選手:マーク・プライス フィジカルな守備全盛時代にシュート力とゲームメイクで地位を築いたポイントガード (3ページ目)
【最強ブルズに挑み続けたプレーオフ】
NBA選手としてすばらしい実績を作ったプライスだが、マイケル・ジョーダンとシカゴ・ブルズの存在によって、キャブスをチャンピオンシップ獲得に導くことはできなかった。
1988年はアウェーの第5戦に敗れ、1989年はピストンズに次ぐ57勝25敗の成績で第2シードとしてホームコート・アドバンテージを持っていたが、第5戦の残り2秒からジョーダンにブザービーターを決められて1回戦敗退。2年連続でブルズの前に敗れ去った。
続く1990年もフィラデルフィア・76ersとの1回戦で2勝3敗と敗退となったが、1992年はニュージャージー・ネッツとの1回戦で平均21.3得点、10アシストを記録し、キャブスのカンファレンス準決勝進出の原動力に。さらにボストン・セルティックスを4勝2敗で退けて迎えたカンファレンス決勝では、NBA2連覇を目指していたブルズと対戦。キャブスは第4戦まで2勝2敗と粘り、プライスも平均18.5点と奮闘したものの、チームとしてジョーダンをスローダウンさせる術がなく、2勝4敗でファイナル進出を逃した。
「我々は歴史上最も偉大なチームや選手たちと競った。たとえ敗戦という結果だったとしても、それが旅を特別なものにするものだ」とプライスは語ったが、1993年はカンファレンス準決勝、1994年は1回戦でブルズの前に屈した。
30歳になった1994-95シーズンに左ひざの故障に見舞われると、徐々にチーム内で担う役割が限定されてくると、その翌シーズンから1年ごとにチームを移籍し、1997-98シーズンを最後に、ユニフォームを脱いだ。
引退後、プライスは父デニー同様、コーチとして新たなキャリアをスタート。NBAでは複数のチームでアシスタントコーチを務め、2015年3月から2017年12月まではNCAAのノースカロライナ大シャーロット校のヘッドコーチを務めた。
【Profile】マーク・プライス(Mark Price)/1964年2月15日生まれ、アメリカ・オクラホマ州出身。1986年NBAドラフト1巡目25位指名(ダラス・マーベリックス)。
●NBA所属歴:クリーブランド・キャバリアーズ(1986-1987〜1994-95)―ワシントン・ブレッツ(1995-96)―ゴールデンステイト・ウォリアーズ(1996-97)―オーランド・マジック(1997-98)
●オールNBAファーストチーム1回(1993)/3ポイントコンテスト王2回(1993、94)
●主なスタッツリーダー:フリースロー成功率3回(1992、93、97)
*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)
著者プロフィール
青木 崇 (あおき・たかし)
1968年群馬県前橋市生まれ。1992年から月刊バスケットボールとHOOP誌の編集者を務めた後、1998年に独立して渡米。アメリカ・ミシガン州を拠点にNBA、NCAA、数々のFIBA国際大会を取材。2011年から拠点を日本に戻して活動を続け、Bリーグの試合で解説者も務めている。
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