河村勇輝の挑戦は「3年計画」 日本人史上4人目のNBAプレーヤー誕生の背景とこれからの歩み
日本人4人目のNBA選手となった河村の挑戦は始まったばかり photo by Getty Images
10月25日、ヒューストンのトヨタセンターで行なわれたロケッツ戦で、河村勇輝は初めてNBAレギュラーシーズンゲームのコートに立ち、日本人として4人目のNBA選手になった。試合最後の3分34秒の出場時間で、記録として残ったのはアシストが1本。トランジションでのドリブルから、ゴール下に切れ込む味方へのノールックパスという河村らしいプレーで、夢の舞台、NBAへの一歩目を刻んだ。
とはいえ、これはまだ一歩。今回は勝敗が決したあとでの出場だったが、この後、NBAの本契約獲得、そしてローテーション入りと、河村の挑戦は続いていく。
その挑戦1年目となる今シーズンは、どんなシーズンになりそうなのか。ツーウェイ契約をつかむまでの過程や、今後の彼に期待されていること、役割などについてまとめてみた。
【運を逃さずにつかんだツーウェイ契約】
当初、メンフィス・グリズリーズとトレーニングキャンプ参加を前提にしたエグジビット10契約を交わしていた河村がツーウェイ契約を獲得したのは、トレーニングキャンプ中の練習やプレシーズンゲームで実力を発揮したことが最大の理由だが、それができた背景としては運も味方していた。
まず、キャンプ前にベテラン・ポイントガードのデリック・ローズが引退したことで本契約の枠がふたつ空き、ポイントガードを補強する必要ができた。結果、開幕前には空いた本契約のひとつに、ツーウェイ契約選手だったスコティ・ピッペンJr.が昇格。これによってツーウェイ契約の枠が空き、プレシーズンゲームで活躍を見せた河村の昇格へとつながった。
河村がプレシーズンゲームで出場機会を多く得られたのも、想定外の状況によるものだった。プレシーズン初戦で、チームのエースであり先発ポイントガードのジャ・モラントが足首を故障。さらに2試合目で、ポイントガードも兼任するマーカス・スマートがヒザを打撲。そのため、モラントとスマートが大事を取ってそろって欠場した10月12日のブルズ戦と14日のインディアナ・ペイサーズ戦で、河村は2番手のポイントガードの役割を与えられ、出場時間が20分台まで増えたのだ。
そのなかで、与えられた運を逃さなかったのは、河村の実力によるものだ。この2試合で大した結果が出せなければツーウェイ契約にはつながらなかった。それがブルズ戦で8アシスト、ペイサーズ戦では7アシスト、10得点を記録する活躍を見せた。ハイライト動画として"バズった"ような巧みなノールックパスも何本もあり、彼のパスがNBAでも通用するところを見せた。小柄であるがゆえにファンを味方につけ、たちまち地元メンフィスだけでなく、全米のNBAファンに名前が知られるようになった。
いつ来るかわからない運やチャンスを逃さないことは、NBA選手にとって大事な資質のひとつだ。
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著者プロフィール
宮地陽子 (みやじ・ようこ)
スポーツライター。東京都出身。アメリカを拠点にNBA取材歴30年余。アメリカで活動する日本人選手やバスケットボール国際大会も取材。著書に『The Man〜 マイケル・ジョーダン・ストーリー完結編』(日本文化出版)、編書に田臥勇太著『Never Too Late 今からでも遅くない』(日本文化出版)、2023年1月発売の共著に『スラムダンク奨学生インタビュー その先の世界へ』(集英社)。